先週の土曜日、近所の仲良し3人と飲みにいったら、
そのうちの一人が刺し子のふきんをプレゼントしてくれました。
たまたま刺し子のふきんをもらって使ってみたら、
すごくよかったので、
自分でも作ってみることにしたそうです。
「ちょうど、インターフォンが壊れたときに
時間指定した宅配便の到着を窓辺で待ちながら、
チクチクと針を刺してた(笑)」
と言ってました。
窓辺にもたれて、時折外に目をやりながら
静かに針を動かす女。
憂いとゆとりが、いい味出してる。
それを聞いていたもう一人が、
「わたしも、手芸したいなと思ってたとこ。
なんもしてないと、夕方に落ち込む。
『ああああ。今日もなんもしてない!』ってすごい落ち込む!」
と言いました。
なんもしてない、といっても
ふだんは、朝から夕方までパートで働いているんだから、
たまの休みのぐらい、
大威張りでのんびりしてればよさそうなもんだが、
そうもいかないもんなんですよね、これが。
なまじゆっくりしたせいで自省する余力がある。
そこに夕方という時間帯が拍車をかける。
「一日がもう少しで終わってしまう感」と
「自分の周囲に広がる夕暮れ特有の雰囲気」が
「人生もこの勢いで終わってしまうのだろう感」と
「この世界にいつか自分だけになってしまう感」を呼び起こして、
ぐっと落ち込んだり、不安になったり、寂しくなったりする。
認知症の人の夕暮れ症候群、わかる気がするな。
明るさが残っている間に、なんかせねば、
暗くなる前に帰らねば、家に。
うん、どの家に?
子どものころの家に?
あれ?わたしの家はどこだっけ?
…って心が迷子になる感じ、
すごく、よくわかる。
わたしは、どうかといえば、
夕方に虚しくなることはありません。
なぜか。
スーの散歩に行くから。
正確には、虚しくなる前に
しぶしぶ犬を連れて
外に出なきゃいけないから。
いいのか、悪いのか。ふー。
とはいえ、外に出ても、
紅葉や夕焼けが目に入ったり、
一面に降り積もった落ち葉を踏んで歩くと
幸せなような、ありがたいような、
この世はすばらしいような、
切ないような、泣きたいような
もう取返しがつかないような
いろんな思いで「心の情緒許容量」が
一杯になる瞬間がある。
それをひと言で表すなら、
「寂しいよーーー!」だ。
ああ。やっぱり夕方は曲者。
わたしたち4人は、
30代で「子どもの母親」同士として知りあって
およそ20年。
賑やかな家族の時代を経て
それぞれが「ひとりであること」に
向き合いはじめているようです。
そういうお年頃か。
「んじゃ、みんな集まって刺し子をしよう!」とはならないけど
(なってもいいけど)
一人でする刺し子と
一人でする犬の散歩も、
どこかで「いっしょにいる」なんだ。
結論。
だれもみな、夕方は、ひとりぼっち。
私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、山形新聞で連載中と聞いています。
そのほかに現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報・新潟日報・神奈川・佐賀・宮崎日日・上毛・長崎新聞でも掲載(終了紙もあり)されています。
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