いいことも、悪いことも、迎え撃って乗り越えて生き抜こう。


夫に好きな人ができて
家を出てしまったけれど、
「たまには、戻ってくるんじゃないかな。
そんな気がする。
もし名残惜しくなっても
『今度はいつ来る?』とは聞かないでおこう」


「でも、離れてしまうと
余計いい人に思えるなあ。
いつの間に、
こんなことになってしまったのかなあ」と、
未練タラタラ考えはじめたら、
うっすら寂しくなった


次の瞬間、


「あれ、そうだったっけ?
ちょっとおかしいぞ。
…あああ。違う、夫は倒れたんだ。
そして意識不明になって
いまも、病院にいるんだ」


と気づき、


好きな人ができて出て行ったのではなかったと
ほっとしていいのか、
ふらりと元気に戻ってくる可能性はないと
がっかりすべきなのか
よくわからない感触の初夢を見ました。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。



しかし、いいのか、悪いのか、
よかったのか、よくないのか、
どちらもよくないような、
どちらかがマシなような、
よくわからない夢だな。


人生は、人間が思い描くような
わかりやすい「幸せ」と「不幸」に
区別できるものではないという
ご神託かもしれんな。


味わい深し。


夢でご神託を受けるまでもなく、
今年も、いいことだって多少はあるだろうし、
悪いことだってあるでしょう。
疲れたり、イヤになったり、
思いもしないアクシデントがあるかもしれません。
いや、あるかもしれないではなく
あるに違いないと思っておくほうがいいな。


そんな一年、来い。
迎え撃って
乗り越えて
生き抜いてやるからな。


2020年という新たな船出。
荒波が待っているのか、
凪が続いているのか
わかりませんが、
ときには、波に身を委ねて
天を仰ぎながらプカプカと浮き、
太陽の光を全身に浴びて
生きている喜びに
ヒリヒリしたいものです。


今年も書きます。
おつきあいくだされば、
うれしいです。


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自分の心の声に耳を傾けて言葉にすること。それを勇気と呼びたい。



自分の心の声を聞けるのは、自分だけ。


こうやって書くとあたりまえだけど、
自分というのが一番、御しやすいので、
つい「イヤな上司」みたいに
自分の「心の声」に接してしまい、
部下の訴えを無視するようなことになりがちです。


わたしだけが我慢すればいい、とか、
こんなことを言ったら気を悪くされる、とか、
こうすべきなのだからやるしかない、とか、
いろんなカタチで心の声を
飲みこんでしまう。


自分が自分に対して
イヤな上司的振る舞いをしてしまうわけですね。


自分と自分の上下関係。


一人になりたい
やりたくない
逃げ出したい
会いたくない
やめたい
休みたい


‥‥などなど、
もう、なんでもいいんですけど
そういう自分の心の声にこたえてあげられるのは
この世界に自分ただ一人だけなので
それがどんなに些末なことでも、
というか、
些末なことであればあるほど、
自分だけはバカにしないで
頭ごなしに否定しないで
ちゃんと聞いてあげて
いますぐには不可能でも、
「わかった。いつか必ず、そうしよう。
その方法を考えておく」と
苦情を聞き、安心させて、
実現や解決の方法を
一緒に考える「パートナー」でありたい。


自分と自分の対等な関係。


プライドをこじらせず、
一人の時間を心穏やかに過ごすための
それこそが要ではないかとさえ思います。
「自分自身とのパートナーシップ」といってもいい。


「自分を高める」という言葉で
雑駁なアクションといたずらな焦燥を強いる
自己啓発や自己肯定のもっとずっと手前に
日々、些末なことを訴える自分の声を尊重し、すくいあげ、
そこに言葉を与える努力をして、
周囲の人に冷静に伝え、
自分を取り巻く環境を腰を据えて変えるという
実は非常に難易度の高い行動がある。
わたしは、それを勇気と呼びたい。


「そんな悩みぐらい」なんて言っちゃいかん。
まして自分が自分には決して言っちゃいかんですよ。


自分の心の声を聞けるのは、自分だけ。
それを言葉にできるのも自分だけ。


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「愛する」って日々の手入れだから、面倒で体力がいる。


毎日、好きこのんで
というか、
だれに命令されたわけでもないのに、
朝晩1時間ずつ、律儀に
犬の散歩をしています。
(いまは娘と分担していますが、
昨年の今ごろは一人で2回。
今年も春以降は、一人でやることになるでしょう)


「犬の散歩、面倒くさいわあ」と
つい言ってしまうため、
友だちや家族は、
このいかんともしがたいボヤキを
「うるさい!」と黙らすわけにもいかず、
なんとかプラス方向に転換してあげようと


「健康のためにいいよ」
「癒しになってるでしょ」
「寂しくなくていいよ」


と口々に言ってくれます。


ま、そりゃ、そうですよね。
「んじゃ、もらってあげよか」と
言うわけにもいかないし、
「んじゃ、捨てちゃう?」なんてことは、
口が裂けてもいえません。
言ってあげられることは、
限られているのです。
いつもぼやいて、すみません。


わたしは、どうかというと
面倒だけど、散歩したい。
散歩したいけど、面倒。
犬がいるから楽しい。
かわいくてたまらない。
なんなら一日中一緒にいたい。
でも、そうはいかない。
犬がいるから行動が制限される。
長く留守番させたくない。
犬は幸せなのだろうか。
あー!そうこうしてたら、
もう散歩の時間だよ。
めんどくせー。


というようなことをですね。


日々、繰り返しているのです。


sue1.jpg



この犬こそわが命!的いとしさと
この犬さえいなければ!的うっとうしさの共存。



これらが矛盾なく、
さまざまな変奏曲を奏でながら、
同時に存在しているんですね。


犬だからかな。
いや、違うな。
子どもだってそうだったな。


この子こそわが命!と
この子さえいなければ、は、
ときに混在してたな。
現在進行形で子育てしているお母さんたち、
混在していると思うなあ。


面倒を見たり、
世話をしたり、
対象がなんであれ、
いのちの責任を担うという行為は、
その程度にこそ違いはあっても
「自分の自由と時間を差し出す」ことなんですねえ。
しみじみ。


何が言いたいかというと
わたしは、
「ああ。面倒で、面倒でたまらない。
散歩はもちろんそうだけど
病院嫌いなこの犬、
次のワクチンはどうやって連れて行けばいいのか!
あ゛―――。面倒だ。
この犬さえいなければなあ」
と年がら年中、思うほど
心の底から、
犬を愛しているということなのです。


愛するって日々「手入れすること」だから、面倒くさい。
いろんな意味での「体力」がいる。

(今年は面倒くささについてばかり書いていますね。
よほど何もかもが面倒なんだな 笑)


犬の名前は、スーといいます。
2歳。雑種。18キロ。
大事に、大事にして
いっしょに暮らしております。


SUE2.jpg


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着脱のスマートさも含めておしゃれ、と言い聞かす。自分に。


いや、ほんと、
服や小物は、
その着脱のスマートさも大事ですね。


犬の散歩には、
ユニクロのグレーのキャップをかぶり、
そのキャップの後ろの穴から
ひとつにまとめた髪の毛を出しています。


散歩から帰り、
散歩バッグを降ろして
犬の足を拭いて
あーづがれだー、と
キャップを脱ごうとすると
髪をまとめている横長のバレッタが
必ず穴にひっかかる。
キーッ!
毎度毎度すったもんだ。
毎度毎度キャップの穴と格闘。
ごくろう>わたし


家のなかで、だれも見ていないとはいえ、
そのときの形相、想像するだに恐ろしい。


この冬、ドクターマーチンの8ホールのブーツを買いました。
↓私が実店舗で買った値段の約半額です



温かいし、歩きやすいしで上機嫌。
どこへでも履いていっていたのですが、
問題は、やや着脱が困難なことでした。


それが!
先日の取材先で部屋に通されてみると
あろうことか、その部屋だけ土足厳禁!


「こちらへどうぞ」と誘われて
他のスタッフがすいすいっと靴を脱いで
ドアの向こうに消えていくのを尻目に
「ちょ、ちょっと、待ってくださいね。すみません」と
ペコペコ謝りながら、
まだ、新しくて革の固いブーツの紐を焦って緩め、
腰をかがめ
膝を曲げて
片足を上げて
ガシッと握り、
力任せに足と靴の分離を図ろうとするものの
敵もさるもの。
どうしてどうして、なかなか抜けない!
そのときのわたしの形相たるや、
鬼気迫るものだったに違いなし。フー。


さらに、部屋に入ったら
出ないわけにはいきません。
別の場所に移動しましょうとなったとき、
みんなサッと履いて
サッと歩き出す。


わたしも遅れてはなるまじと
グッと足を入れるものの
一発では入らず
かかとの飾りを兼ねたタグを握って(写真参照)
グイっと足を押し込み終えたら
もう、紐のことなんか考える暇はなし。
歩き出した一群を追いかけて
紐ブンラブンラさせながら
資料どっさり抱えて走り出す。


あー。大変だったよーー。


バッグを斜め掛けにしていることを忘れて
コートを脱ごうとしたときなんかも
ちょっと不格好になったりしますね。


おしゃれは、着脱も大事だな。



不意打ちの土足現金や
座敷に上がる飲食店なんかは、、
脱いだときの靴下の状態にも
ハラハラする。




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小さな動揺を繰り返して年齢を重ねる。それでいいじゃないか。


先日、取材で
ある有名な童話に登場するキツネは
何歳だと思うか?
という話題になりました。


「幼稚園児ぐらいですかねえ」とか
「青年だと思いますね」などと
そこにいる面々が口々に答えます。


この話は、ここでいったん終了し
年代によって教科書が異なるため
学んだ作品も違う、
という話題へと移っていったのです。


ここまでに


(1)キツネの年齢問題
(2)使った教科書が異なるという年齢問題



のふたつの年齢問題が
論じられているのです。


取材した方は、
とても話し上手で
こちらにズバッと問いかけては、
自分で答えを言ったり、
言わなかったりしながら、
グイグイと持論を展開していきます。


そのときです。


不意に身をぐっと乗り出して
わたしを指さし、


「いくつ?」


と問うではありませんか!


「58です!」


一瞬、心によぎった躊躇や逡巡を振り払うように
勢いよく、すばやく、明快に言い放った
58という数字。


ところが、次の瞬間、


「だー、かー、らー。キツネだよ!」


一同、笑。


え?キツネだったのかい。
急に話が戻ったのか。
いったん、話題がキツネから
年代ごとの教科書の違い問題に移ったから、
ああ、この人は、わたしの年齢を聞いて
「ああ。その年齢なら教科書は…」と
展開するのだと思ったよ。


無駄に放たれた58という数字。
明らかに、そこにいる誰よりも
高年齢であるところの
58という、
昨今は「70ぐらいまで働け」モードだとはいえ、
「定年」「引退」「妖精さん
なんて言葉と相性のいい58という数字。


わたしの、
清水の舞台から飛び降りんばかりの決断は
なんだったのか。
不要なカミングアウト、
返してくれ。


いや、いいんですけどね。
だれにも罪はない。
むろん、年齢にも何ら罪はない。


…で思ったのですよ。


40代のころ、特に後半に近づくにつれ
「女性として意識される年齢ではなくなる」と
うっすらながらも
やや過敏に意識していたし
(この年になってみると、
まったくそんなことはないと思うけども)
50代、それも後半になると
「現役として、かなり年寄り」と
うっすらながらも、
常に意識しているのだなあと。
自分が。


あと、年齢というものは
若く見えたいとか
年をとりたくない、とは
ことさら思わなくても
心のどこかで


「年齢より若く見えているかもしれない想定」


で生きている面がある。
そんなことないですか。
一縷の希望とでもいえばいいでしょうかね。
他人の視線の甘さ、鈍さに
すがるような思いといえばいいでしょうか。


だから、58歳と言ったときに
「もう、そんな年だったのか!」
と驚かれたのではないか、
と自分で勝手に解釈し、
心がやや乱れるのだけれど
ふと、立ち止まり、
いや、待てよ。
どうも、冷静になって考えてみると
そこに、そういう驚きの波紋は
一切なかったぞ。
「だろうね」って感じか。


そして思ったのです。


ふー。58歳かあ。
いつの間にこんなに年をとったのかなあ。


年齢というものは、
心に小さなさざ波を起こしますな。


そうやって小さな動揺を繰り返して
一年一年、年を重ねていくのでしょう。
「この年齢が一番好き!」
「年齢なんて気にしない!」なーんて
そんな目の粗いポジティブさ、
別にいらないしな。
この年齢のことも嫌いではないが、
切なくなるときもある。
それでいいじゃないか。


そういうわけで
その現場では、
だれもが知る58歳になりました。
めでたし。





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