小さな動揺を繰り返して年齢を重ねる。それでいいじゃないか。


先日、取材で
ある有名な童話に登場するキツネは
何歳だと思うか?
という話題になりました。


「幼稚園児ぐらいですかねえ」とか
「青年だと思いますね」などと
そこにいる面々が口々に答えます。


この話は、ここでいったん終了し
年代によって教科書が異なるため
学んだ作品も違う、
という話題へと移っていったのです。


ここまでに


(1)キツネの年齢問題
(2)使った教科書が異なるという年齢問題



のふたつの年齢問題が
論じられているのです。


取材した方は、
とても話し上手で
こちらにズバッと問いかけては、
自分で答えを言ったり、
言わなかったりしながら、
グイグイと持論を展開していきます。


そのときです。


不意に身をぐっと乗り出して
わたしを指さし、


「いくつ?」


と問うではありませんか!


「58です!」


一瞬、心によぎった躊躇や逡巡を振り払うように
勢いよく、すばやく、明快に言い放った
58という数字。


ところが、次の瞬間、


「だー、かー、らー。キツネだよ!」


一同、笑。


え?キツネだったのかい。
急に話が戻ったのか。
いったん、話題がキツネから
年代ごとの教科書の違い問題に移ったから、
ああ、この人は、わたしの年齢を聞いて
「ああ。その年齢なら教科書は…」と
展開するのだと思ったよ。


無駄に放たれた58という数字。
明らかに、そこにいる誰よりも
高年齢であるところの
58という、
昨今は「70ぐらいまで働け」モードだとはいえ、
「定年」「引退」「妖精さん
なんて言葉と相性のいい58という数字。


わたしの、
清水の舞台から飛び降りんばかりの決断は
なんだったのか。
不要なカミングアウト、
返してくれ。


いや、いいんですけどね。
だれにも罪はない。
むろん、年齢にも何ら罪はない。


…で思ったのですよ。


40代のころ、特に後半に近づくにつれ
「女性として意識される年齢ではなくなる」と
うっすらながらも
やや過敏に意識していたし
(この年になってみると、
まったくそんなことはないと思うけども)
50代、それも後半になると
「現役として、かなり年寄り」と
うっすらながらも、
常に意識しているのだなあと。
自分が。


あと、年齢というものは
若く見えたいとか
年をとりたくない、とは
ことさら思わなくても
心のどこかで


「年齢より若く見えているかもしれない想定」


で生きている面がある。
そんなことないですか。
一縷の希望とでもいえばいいでしょうかね。
他人の視線の甘さ、鈍さに
すがるような思いといえばいいでしょうか。


だから、58歳と言ったときに
「もう、そんな年だったのか!」
と驚かれたのではないか、
と自分で勝手に解釈し、
心がやや乱れるのだけれど
ふと、立ち止まり、
いや、待てよ。
どうも、冷静になって考えてみると
そこに、そういう驚きの波紋は
一切なかったぞ。
「だろうね」って感じか。


そして思ったのです。


ふー。58歳かあ。
いつの間にこんなに年をとったのかなあ。


年齢というものは、
心に小さなさざ波を起こしますな。


そうやって小さな動揺を繰り返して
一年一年、年を重ねていくのでしょう。
「この年齢が一番好き!」
「年齢なんて気にしない!」なーんて
そんな目の粗いポジティブさ、
別にいらないしな。
この年齢のことも嫌いではないが、
切なくなるときもある。
それでいいじゃないか。


そういうわけで
その現場では、
だれもが知る58歳になりました。
めでたし。





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