夫が倒れたどさくさに紛れて
去年から年賀状を書かなくなっていて
今年も返事だけ書きました。
劇団時代の後輩のまーちゃんには、
夫のことを知らせて
でも、「元気にしてるよー。
また会おうねー」と書きました。
それから、5か月。
「何度も手紙を書きかけるのですが
送れていません。ごめんなさい。
でも、今日は送ります」から始まる
はがきが届きました。
ああ。こんなに長い間
思いを寄せてくれたのかと
申し訳ないような
うれしいような
気持ちになりました。
メールアドレスが書かれていたので
落ち着いて返事を書こうと思いつつ、
またも時間が過ぎて
今朝、ようやくメールを送りました。
そしたらすぐに返事が来て
冷蔵庫をのぞいてる姿、確かに目に浮かぶし、
「日曜日の魚夫婦!」とか優しく笑いながら、
前屈みに鯛をさばいてくれてた姿、
京都のマンションに私が居着いてても、
全く気にする風もなくさりげなく居てくれたこと、
私の大学の成績表みて
「成績ひどいなぁ」と呆れつつも
アドバイスいってもらってハッとしたこと、
教会での結婚式の時のこと、
温かい声色、いっぱい思い浮かんでしまいます。
ずっと、ご無沙汰してしまって、
〇〇ちゃんが生まれてからのパパぶりや、
ワンチャンを可愛がってるお姿とか
見たことないけど、それすら目に浮かびます!
と書かれていました。
(冷蔵庫をのぞいている姿、というのは
私が目にした夫の最後の元気な姿です)
すっかり忘れていることばかりだけど
彼女の心に残っている
夫(とわたしの姿)が
鮮やかによみがえってきて
わーーーーー!となりました。
「生きている、生きてたんだ。
わたしたち。」
という感じ!
夫が倒れてから
「思い出を大事に語ってくれること」が
どれだけうれしく、
ありがたいか痛感します。
それは、たぶん、
わたしが日常のほとんどすべてを
夫の思い出とともに生きているので
「リアルな会話」ができる喜びなのです。
過去なのにリアル。
過去と現在を織り上げながら
目の前の現実を体験している感じ。
時間がたっても、
その人にとって大事であろうと思われる人のこと、
その思い出を丁寧に思い出して
細部まで語ってあげることには
特別な価値があります。
何よりも価値があると言い切ってもいいくらい。
わたしも、だれかに、
そうしようと思います。
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