「微細な気がかり」が積み重なる先にあるのは…というコロナ不安。



わたしの夫は、
一昨年の9月に倒れて
以来、遷延性意識障害(植物状態ともいわれる)で
療養型病院に入院中です。


2月20日に新コロナウイルスへの対応で
病院が閉鎖され、
6月15日に条件付きで面会が許可され
(一患者につき1名、15分、土日祝除く偶数日、予約制)
再び、7月17日から閉鎖されました。


夫の隣のベッドには、
チハラさんという元気なおじいさんがいて
わたしが病室に入ると
「こんにちは!きょうは、なんようびですかっ!」
「あなたのおしごともたいへんですねえーーー!」
「わたしもきょうはいそがしいんですっ!」
と大声で話しかけてくれたのに、
面会再開後のほぼひと月、
話しかけてくれたのは一度だけでした。


以前は、お風呂にストレッチャーで運ばれながら
「はーるばるきたぜ、おっかまちへーーー!」と
廊下中に響く声で
替え歌を歌っていたのに
その元気もありません。


ずっと、くったり。


もともと家族の面会は少ない人で
入浴のたびに出る洗濯物の袋が
積み重なっていました。


でも、家族じゃなくても
他の患者への面会客とか
散髪屋さんとか
歯医者さんとか、
そういう「自分には直接関係のない外部の人」の
ちょっとした出入りが
心の張りや
あの元気っぷりにつながっていたんじゃないか
と思うのです。


寝たきりの人ばかりが入院しているので
もともと「生気のないところ」ではあるけれど
度々通っているとわかる
微細な「生気」の減少…。


もちろん、それは夫に対しても感じて
少しずつ、旧に戻そうと思っていたのに
またもや閉鎖で、
気がかりだけが募ります。


新型コロナウイルスは
感染に対する恐れだけでなく、
自粛がもたらす微細な「気がかり」が
人それぞれに積みかさなっていく。
じわじわと積み重なっていって、
いつか身動きの取れない事態を招き、
取り返しのつかない「後悔」を味わうのではないか、
という恐れ…。
これが、精神的にきつい。


また、その「恐れ」は
人によって異なるから、
口にしづらかったり、
共感しにくかったりして
それもきつい。
そもそも、会って話す機会が減っているし。


みなさんもきついですか。
ねえ。きついねー。
せめて、こうやってブツブツ言っておきますか。




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