「極端に最悪の事態を想像する」という、恐れから生まれる悪癖


先週、こんなときに寂しさはやってくる…「寂しさの大家」に。
という記事を書きましたが、


たとえば、こういう気分のとき、
頭のなかに
「孤立するのが一番、ボケるぞ」とか
「社会的孤立が最大のストレスらしいぞ」とか、
そういったニュースなどで目にした
「寂しさの究極に不幸なかたち」的なものが
さっとよぎるの、ほんと注意しないといけません。


本来、「うっすらとした寂しさ」という
吉田兼好的味わいにも通じる情趣が、
いきなり「高齢者の孤独(と貧困)」という
NHKスペシャル的な社会問題にすりかわり
それが我が未来像として
頭に浮かぶ!
そして、さらにユーウツになる!
なんだ、それ!


この「極端に最悪の事態を想像する」というヤツ、
習慣やクセになりやすいから、
本当に気をつけたい。


そういえば、わたしが、昨年、新聞に連載した
「献身と保身のはざまで」という
夫の発病以降について書いたコラムにも
激しく怒ってらっしゃるのだなあと
感じる批判がありましたが


あれも、
「家で介護するのがベストか?」と
と書いたことに対して
私の意見をいったん認めてしまえば、
人間が長い時間をかけて作り上げてきた
自己犠牲という尊い文化が崩れ、
社会の底が抜けるんじゃないか。
身勝手な人間たち(私のような)が
雪崩を打つように我先にと肉親を捨て、
施設に丸投げして
見向きもしなくなるんじゃないか。
…と「極端に最悪な事態」を想定して
激昂しておられたのだと思います。



小さな事柄(発言や行動)のなかに
「予兆」を見つけ
その先に「最悪な事態」を
想像してしまう根底には、
自分を守りたいという「恐れ」がある。




その強い恐れが、
「予兆」と「最悪」という
遠く離れた事柄を結び付けて
本来なら、その間に無数にある
選択肢や解決策を
考えてみることすら
不可能にしてしまう。


いかん。


この「予兆発見クセ」と
「最悪な事態想像クセ」は
ほとんどの場合、同時に発動し、
心のなかに不安を増殖させ、
不安でいっぱいにして
視野を狭めて
選択肢を減らし、
身動きできなくさせたり
自分以外の人間への
過干渉や否定に結びついたりもするので
厳戒な注意が必要です。


わたしの場合は、
まず「うっすらとした寂しさ」を
Nスぺ的な「高齢者の孤独」の
予兆として見ないことですな。


楽しみ方も
解決策も
いかようにもある。
こうやってブログも書いてるしな。




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