危ういぐらいが「ちょうどいい落ち着きどころ」…という深い洞察。



シリーズ「ケアをひらく」の
その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)
(上岡陽江&大嶋栄子 著)が、
めちゃめちゃ、よかったので
今日はそのことを書こうと思います。


タイトルの「その後」とは、
生育過程において
暴力などのトラウマティックな
経験をして深く傷ついた「その後」。
そんな女性たちの回復過程について
自らも薬物依存の当事者であった
ダルク女性ハウス代表の上岡氏と
DVや性暴力被害者のための
シェルターを運営している大嶋氏が
徹底した当事者目線で
記したものです。


第一章のタイトルは、


「私たちは なぜ寂しいのか」


もう、このタイトルから
心をわしづかみにされますな。
どうですか。
この堂々たる普遍性!
上岡さんの、
薬物依存の当事者であるという自覚と、
長年、支援に携わりながら
当事者研究をしてきたという自覚と
ふたつの自覚が
からみあって放たれる、
シンプルかつ根源的な問い!
「私たちは なぜ寂しいのか」
しびれる。


版元の医学書店に
詳細な目次が掲載されていますが、
苛酷な家庭で育ったわけでなく
薬物やアルコールなどの
依存に陥ったことがなくても
「読みたい!」と思わせる
小見出しの一つや二つは
見つかるのではないでしょうか。


「相談」はなぜ難しいのか。
「開かれたグチ」の効用とは何か。
どれも「そうだなあ」とうなりました。
これは、自分自身と目の前の人とを
理解しようと懸命に努力し、
どんな小さなことも
無意味だと片付けない人だけに
たどりつける深い洞察です。


以下は、大島氏が書いていることですが、
(ぎりぎりの落ち着きどころ P201)
上岡さんの宗教者ともいえる
懐の深さが表れていて
ぐっときました。


性暴力の被害を背景に
薬物にのめりこんでいた
20代の女性が
勾留を解かれた後で
ひとまわり以上年上の男性と同棲を始める
…こんな危うさぐらいが
「ちょうどいい落ち着きどころ」だと
上岡さんは言います。
そのぎりぎりさに
その人たちの居場所があるのだというのです。


ダルクのスタッフたちが、
講演に呼ばれていくときに
なぜか「髪は切ったのに金髪」とか
「スーツなのにあちこちじゃらじゃらと
アクセサリーをつけている」
みたいな姿も、
実は、どこかが「はずれて」いないと
収まりが悪いからだといいます。


中略

だから金髪でじゃらじゃらと
「はずれたまま」で
教育委員会と薬物防止教育の件で
協議するくらいが安全だといいます。


はずれ者として生きることは、
薬物を手放した後で
生き延びるために
必須の方法ともいえるのです。




はずれ者として生きることは、
「その後」を生き延びるための
必須の方法。



私たちが抱きがちな
回復に対する清く正しいイメージを
狭量だと退けるわけでなく、
「ちょうどいい」という言い方で
覆して見せる。


ここで、いきなり
自分のことを書きますが、
わたしは、夫が倒れた瞬間のことを
何度も何度も話したいと思いました。
つらい記憶のはずなのに
何度も話したい。
でも実際には、話していません。
もう、だれも興味がないだろうし、
退屈だろうと思うからです。


しかし、上岡さんは、言うのです。


自助グループのなかでは、
こんなにみんな
同じ話をしているってこと、
普通の人は知りませんよね。
しつこく10年も話しているって
知らないでしょう。


中略


痛みが静かな悲しみに変わるには、
数えきれないくらい
同じ話を
誰かに聞いてもらわないと
いけないですね。



痛みが静かな悲しみに変わるには、
数えきれないくらい
同じ話を
誰かに聞いてもらわないといけない。


湖の水面を見つめるような気持ちになる言葉だな。
ここに書評も掲載されています。



私の本も、それなりに深いです。たぶん。




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