心配されてわかる。「いつもと変わらぬ態度」という偉大な包容力。


東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に
緊急事態宣言が発出され、
アメリカでは、トランプ大統領の支持者が議事堂に侵入し、
4人が銃で撃たれて死亡しました。


新年、あけましておめでとうございます。


…って言いにくい!


でも、やっぱり、今年最初の記事なので
ちゃんと言っておこう。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


なんか、もう、
今までどおりマスクをして
手を洗って、
大声で話さないで
密を避けるしかないですね。
心や態度は、できるだけ
普通を保っておきたい。
難しいけど。


「普通を保つ」
「いつもと変わらないでいる」


って、それだけで
すごいことなんですよねえ。


2018年の9月に夫が倒れてから
いろんな人が心配してくれて
どんな言葉をかけたらいいのか
すごく迷ったり、考えたりしているのが
こちらにも伝わってきました。


それがまた、
本当にありがたくて
申し訳なかったのですが、
あまりにも同情されつづけると
「自分とは違う境遇の人」として
「不幸の烙印」を押されたみたいで
ビミョーに不本意な孤立感を
感じてしまったりもするのです。


人の気持ちって複雑。
つくづく、仲間外れになるのが
いやな動物なのね。
人間ってのは。


そんなとき、
「普通を保って
いつもと変わらない」態度で
接する人に出会うと
ほっとするんですよね。
まだ「自分もこちら側にいる」と思えるから。


いつもと変わらないでいるって
奥深いなあと思いました。


それは、「偉大なる包容力」でもある。


わたしも、
何かあるとつい
過剰に感情移入して
大仰に騒ぎ立ててしまう
タイプなのですが、
もし近しい人が、
重い病気にかかったり、
思わぬ不幸に見舞われたりしたら、
相手を思いやりつつも、
できるだけ
普通を保って
いつもと変わらないでいるようにしたい。


新型コロナの恐るべき拡大で
何事も思うようにできないけど
できるだけ平常心を保って
一日一日を生きていきたいですね。
何かひとつぐらい
明日につながることを
コツコツと続けながら。


そういうわけで
今年も普通を保ち、
あまり変わり映えしないと思いますが、
よろしくおつきあいください。


とはいえ、すごい寒波!
そしてコロナ!
ともかく、体には気をつけて。
自分の体力を過信せず、
大事に労わりつつ
過ごしてくださいね。


わたしもそうする。




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年賀状、書かなかったら届かない。空っぽのポストが問う、わが未来。


一昨年あたりから、年賀状を書くのをやめたら
年末が本当に楽になりました。
毎度、「ああ。楽。よかった、よかった。
みんなも私に送らないでいいからねー。
むしろ、送らないでくれよー」ぐらいの勢いで
「年賀状を書かない解放感」を満喫しています。


それでも元日。
極めて薄くはあるものの
ポストに束になった年賀状を見つけると
「どれどれ」と見てしまう。
慣れ親しんだお正月気分、味わう。いい感じ。


二日は、配達はお休み。
もちろん年賀状はなし。


三日、ポストをのぞく。
年賀状、なし…そうか。
四日、ポストをのぞく。
年賀状、なし…なるほど。


うっすらだが、
なんとなく肩透かし。
ちょっとだが
はっきりと寂しい。


なんだこれ?
自分が出していないから、
来ないのは当たり前なのに



「書かない解放感」を満喫しつつ、
「書いてくれるうれしさ」は味わいたいのか。



もー、人間ってー。
ってか、わたしってー。


ああ。年賀状も
コール&レスポンス。
「あなた」と呼べば~、
「あなた」と答える~。
「あな~た」があってこその
「な~んだい?」の返し。
相聞歌的なやりとりよ。


年賀状って、いいものなのね。


と、ほとんどだれからも届かなくなって
しみじみとその良さを発見しましたが、
だからといって今年、書くかといえば
書かないのでしょうね、わたしは。


人間関係の断捨離、というか、
社交辞令的な煩雑さの断捨離、
これって、いいのか、悪いのか。
人生後半をすがすがしくするのか、
社会的孤立というか、孤独感を
結果的に深めることになるのか。


わからないままに
そっち方向へ進んでいく、わたし。


わからないままなので
結論もありません(笑)
もうちょっと心の様子を見てみることにします。
報告しますね。また来年(笑)!


★事後報告になりますが、
昨日(1月13日)の読売新聞朝刊 ケアノートに
わたしのインタビューが掲載されています。


もし、よかったら読んでみてください。
わたしの話や本の内容より、
やや優しい雰囲気にアレンジしてくださっていますが、
新聞社に共感や激励のメールが届いているそうです。
このブログにもコメントをいただいています。
ありがとうございます!
ケアノートという愛読者の多いコーナーに掲載いただき光栄です。



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ストレッチの度に出会う「新鮮な硬さ」。その先に柔らかさがある?


犬の散歩で
起伏のある
自然公園みたいなところを
歩くんですが、


木の枝があるなあと思って
余裕でくぐったつもりが
なぜか、おでこが当たってしまったり、
土からほんの少し露出している
木の根っこにひっかかって
こけそうになったりして
「かがめていない背中」
「上がっていない足」に
気づくことが
何度かあったんです。


そういえば、
テレビ千鳥の「DAIGO'Sキッチン」で
大悟氏が、「砂糖は、思てるのの2倍!」と
よく言っていました。


そうだ。2倍だ。
砂糖も2倍かもしれないが
わたしの背中や足も2倍だ。


背中は、思てるのの2倍(かがめ)!
足は、思てるのの2倍(上げろ)!


しかも、とっさに。
できれば、いつだって。
2倍!2倍!思てるのの2倍!


この「2倍問題」については、
「ウォーキング(散歩)だけではダメだ」という
結論に達し、
朝、散歩のあとに
ネットで調べた足のストレッチや
昔、習っていたヨガや
ラジオ体操の一部や
スクワットなどを
組み合わせてやっているんです。


そのときに、つくづく思うのは、



毎回、新鮮に硬い。



自分のからだの
フレッシュな硬さと出会う。


おお、今日も硬い!という
新たな発見。


体操や新体操や
フィギュアスケートの
選手のみなさんも
毎回、硬さと出会っているのかな。
あんなに柔らかくても
日々のトレーニングで感じているのは
「柔らかさ」ではなくて
「硬さ」なのかな。


からだって
どうしてこう、
「硬さ」を志向するのでしょう。
赤ちゃんのとき柔らかだったから、
「硬くなること」が
「成長」だと
いまだに信じているのかな。
隙あらば、硬くなろうとしているのを感じる。
もう、いいんだよ。
そんなに硬くならないで…。


何を書いているのか
自分でもよくわからなくなってきましたが、


「硬さ」と
毎日、出会わないと
「柔らかさ」は
手に入らないんじゃないか、



と思ったというお話なのです。


硬さをまったく意識しないで
過ごせているとしたら、
もしかしたら、
まっすぐに硬くなっている、
どんどん硬くなっているという
ことではないかと。


年齢が進むにつれて
からだを動かすことは、
トレーニングというより
リハビリに近くなる。
たとえ、健康であっても…。


そういうわけで
「あああ。今日も新鮮に、硬い!」
と思いながら、
明日もストレッチします。


頭の固さもそうなのかな。
「固さ」を自覚してはじめて「柔軟」。




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「充実感」はつかみどころがない。うっすら空虚ぐらいでよしとする。



昨日発売の「婦人公論」に、
わたしの本「夫が倒れた!献身プレイが始まった!」の
書評が掲載されています。
詩人・エッセイストの白石公子さんが
書いてくださいました。光栄です。
以下、少しだけ引用させてください。


「『介護本』の枠に収まりきらないほど言葉の力、
著者の魅力が横溢している」

「ここに綴られた言葉たちは、
説得力と普遍性と力を持って
介護に対する不安な心に喝を入れるがごとく、
パシンとしなやかに打ちつけてくる」




どうですか。
これは、もう読まずにおれん!
となりませんか?!
なってほしい!(笑)




…とのっけから自慢を炸裂させていますが、
夫が倒れて2年半ほど経って
繰り返し思うのは、
(いきなり急降下します)



これから先、
そんなに幸せじゃなくてもいいや。




ということです。


これは、決して
日々のことにやる気がないとか
すべてに悲観的とか、
何もしない、とか
毎日が楽しくない、とか
そういうことではなくてですね。



「めっちゃめちゃ楽しい!」いう感覚には、
いくつかの「無理」が生じそうなので
(それなりに喪失感が
大きいのかもしれません)
そこまで、感情をプラス面に
無理やり押し上げないでいよう、
というか、
押し上げなくてもいい、
と思っているほうがラク
ということなんです。


平穏であればいいじゃないか。
淡々と過ごせればいいじゃないか。
投げやりにならなければいいよ。


みたいな感じ。


バッキバキ、キッラキラに
充実していなくていい。


「充実感」って
そもそも、空気をつかむようで
やっかいなものだからね。
いたずらな焦燥感と自己否定に結びつきがち。



うっすら空虚ぐらいでいいんです。


そこから見える風景を
ことばにしていけたらいいなーと
思っています。


あなたの「空虚」のおともに拙ブログ。


婦人公論はこちらです。


わたしの本はこちら。
白石氏は、「付箋をボーボーに貼った」と
書いてくださっています。
あなたもボーボーにしませんか。




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