「堅実になれなかった人生」を肯定し、生きていると叫ぼう。


歯医者に行こうと家を出る瞬間、
固定電話が鳴りました。
あわてて出たら、聞き覚えのある
くぐもった独特の声と朴訥な口調。
夫の大学時代の友人Mくんの奥さんです。


「野田ちゃん?」
大学時代の夫の友だち限定の呼び方。


夫の病状を知って
電話してきたのだなあと思いました。
「ああ!Bさん!すみません!
今、出るところなんです」


ところが、あわてる様子もなく、
「Mが亡くなりました」


ああ、そうか。
だから、動じないんだ。
何としても
告げるべきことがあるから、
「今、出るところ」と言っても
伝えるべきことを伝える。


受話器を持ち直して
「Bさん。夫も2018年の秋に倒れて
意識が戻らないままなんです」
と言いました。


お互いがお互いの言葉に
驚いたままの時間。


30年前のBさんの顔を
思い浮かべる時間、


「今度またゆっくり」と
約束して電話を切りました。


Mくんは、
バブルのころ、
株で大成功して
盛大に遊びました。


まだ20代のころ、
急に思い立ったのか
「九州に行こう!」と言い、
自分と彼女(Bさんではない)、
夫とわたし、
もう一組の夫婦を誘って
飛行機を予約しました。
ホテル代は
彼が払ってくれたのかな。


ホテルの食事に
カニが出て
そのカニの身を
彼女が、ひたすらほじって出し、
お皿に丸くうず高く
盛り上げる様子を
わたしは、
ご苦労なことだなと
見ていました。
Mくんは、
うれしそうに
食べていました。
今おもえば、
なんだか、
もう「オヤジの遊び」ですね。


Mくんは、
大儲けして
散財して、
バブルの崩壊とともに
一文無しになって
ストレスから
難病を患い、
治らないまま
奥さんに養われて
生きました。


夫に2歳下のMくんは、
59歳で亡くなりました。
夫が倒れたのと
同い年です。


ふたりとも
59まで、よくもったともいえるし、
「ほら、だから59で
くたばったんだ」ともいえる。


あのころの
夫とMくんの
放埓な遊びの現場に
もう一度、立ち会ったら
わたしはどうするだろう。


叱るか。
諫めるか。
懇々と説くか。


道を歩きながら
そんなことを考えました。


いや、そんなことはしないだろうな。


わたしは、
そのなかに
勢いよく飛び込んで
「この時だけだ」とばかり、
語り、笑い、はしゃぐだろう。


「堅実に生きる」ことが
どうしてもできなかった二人の
あまり長くない人生に
どっぷり飛び込んで
その上に広がる
空を見上げよう。
見上げて、そして
「生きてる」と
心のなかで抗うように叫ぶんだ。


Mくん。
お疲れさま。
夫はまだ戦っているよ。
そしてわたしは、
わずかばかりの
お金を守って
生きてる。




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新型コロナウイルスが、美容院の雑誌問題を一挙解決していた。


久しぶりに美容院に行ったら、
ファッション誌が消えて
タブレットが置かれていました。
楽天マガジンで雑誌読み放題です。


若い人も来るけど
おばさま&おばあさまも多い美容院だから、
タブレットの導入については


「お客さん、使えますかね?」
「確かに。難しいかな」
「一々、説明するの面倒くさいですね?」
「そやな」
「紙のほうが好きな人もいますしね」
「やめとこか」


となっていたところが、
新型コロナウイルスの襲来。
感染予防のため、
有無をいわさず
タブレットへ移行。


そうしてみたら、
タブレットは、
ファーウェイだから、
そんなに高くないし、
楽天マガジンは
毎月複数の雑誌を買うより
ずっと安いし、


カットした髪が
雑誌に落ちて
ページの間にはさまることもないし、
いいこと尽くめ!
ってことになってないかな。


…なっているような気がするな。


わたしも、いつも
VERY(もしくはなぜかCLASSY)
家庭画報
オレンジページ(またはMEETS←関西のエリア情報誌)
あたりを持ってこられて


「年齢的には家庭画報なんですけど
万が一、ご気分を害されてもあれなんで
30代(なんなら20代後半)の
ファッション誌ももってきておいて、
どなたにも対応可能な
料理雑誌と情報誌も置いておきますね」
的な気遣いに申し訳なさを感じつつ
読みたいような(VERYは読みたい)、
読みたくないような、
ビミョーな感じだったので
楽天マガジン読み放題は
願ったりかなったり。


最初に週刊文春を読みました。
VERYも読みました。
Ku:nel もゆうゆうも読みました。
LaLaBeginが、おもしろかった。
おもしろかったから、
LaLaBeginのバックナンバーを
次々に読みました。





わたしも、
Kindle Unlimited 読み放題は解約して
楽天マガジンにしよう!と思いました。


こんなふうに
新型コロナウイルスが
強制的に変えてしまったことって
たくさんあるんでしょうね。
いいことも、悪いことも。


この美容院、
わたしを担当してくれる男性美容師さんは、
すごーーくいい人で
何の不満もないのですが、
店長は、ややマンスプレイニング気味。


今日も、コロナウイルスがもたらす
社会と経済の変化について
上品な奥様風のお客さんに延々、
自説を開陳していました。
この上品な奥様風の女性が、
社会学とか経済学の
専門家だったら、どうするのかな。


微笑んで聞いてくれる人ほど、
案外、よく知ってたりする。




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他人の「大変なこと」を集めて自分を安心させる、老いの心情。



婦人公論に掲載された拙著の書評が
ウェブに公開されています。
ぜひ、お読みください。
こちらです。



父は、79歳で亡くなったのですが、
晩年、わたしが、
たまたま帰省していたとき、
「〇〇さんも、
これこれこういうことがあって
苦労しているらしい。大変かねえ」
と母に話しかけていました。
共感を求めるような口調から、
やや大げさな同情がのぞきます。


ごく普通の会話なのに
なぜか、強烈に覚えているのは、
「ああ。お父さんも老いたなあ」
と思ったからです。


〇〇さんという、わたしは知らないけど
父と母の共通の知り合いが
苦労している、
大変みたいだ、という話題に
父自身が安堵している。
「ああ。父は、母と
こういう話題をしているとき、
居心地がいいんだ」と思いました。


「大変なこと集め」
とでも名づければいいでしょうか。


「あの人も大変。
この人も大変」と
大変な人たちに思いを馳せ、
もちろん同情するのですが、
同時に安堵もする。深く。


他人も大変なんだ、
と思うことのなかには、
かすかに甘美な成分があって
その甘美さが、自分を包み許す。
「これでいいんだ」と思える。


そんな父の
「揺さぶられたくない」
気持ちが伝わって
年をとったなあと
感じたのだと思います。


わたしも年とともに
この「大変なこと集め」が
わかるようになってきました。


自分自身の夫が
倒れただけでなく
わたしの友人のなかにも
若いときには
思いもしなかった
困難や不幸や大変さの
渦中にある人が
いるからです。


ただ、この
「大変なこと集め」は
同情という
正しく優しい感情に
支えられているふりをしながら
「自分の気持ちを
揺さぶられたくない」
という別の、
保身的な
強い願望によっても
支えられているので
ときに、嫉妬の温床にもなる。


同情や憐憫には積極的で
祝福や称賛には及び腰になりがちです。



気をつけねばなりません。


「老いる」ということは
「自分を顧みたくなくなる」
ということ。


父の「あの人も大変だ」
という同情のそぶりのなかに
他者との比較と競争から
いくつになっても
逃れられない煩悩を感じとったのでしょう。


まだ若かったわたしの
父に向けるまなざし、
残酷ですね。


いまは、その気持ちが
とてもよくわかる。
父は、弱っていく自分を
自覚していたから一層、
他人の大変さのなかに
心の平穏を見出そうとしたのだと思います。
「みんな同じだ」
「自分はまだましだ」
と思って得られる平穏。


その切なさも
そこに、かすかだけれど
確実に含まれる
人間的な卑小さも
いまは、愛しく思えます。




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高齢化社会。相対的な若さがもたらす「ヤングな立場」に浮かれる。


自治会役員の順番がまわってきて
先週土曜日は、担当の係を決める集まりがありました。
会長・副会長に書記や防災、広報など
全員が何らかの係を担当しなければなりません。


防災や広報ならうれしい。
副会長や書記、会計は大変だけど許容範囲。
ああ、神様!会長だけはお許しください!


・・・そう、だれもが願ったに違いありません。
なかには眠れぬ夜を過ごして
集会場に足を運んだ人もいることでしょう。



マンションの規模が大きいため、
わたしが自治会の役員をしたのは、
もう15年ほど前。


このわたしに15年のときが流れたように、
すでに当時築25年経っていたマンションにも
15年のときが降りつもり、
そう。
太郎さんの屋根にも
次郎さんの屋根にも
15年のときが静かに静かに
降りつんだのです。


つまり、
44歳は、59歳に(←わたし)
50歳は、65歳に。
60歳は、75歳に。
65歳は、80歳に
変身していました。


15年前と明らかに風景が違う。
顔触れも違うが
それだけじゃない。
服の色が違う。
声の大きさが違う。
動きの早さが違う。
空気が違う。
おじいさんとおばあさんが作り出す
あの雰囲気が満ちている。


役員のくじびきが
少しの紛糾と交渉を経て
なんとか平和裏に終わり、
(わたしは、書記になりました)
玄関でスリッパを脱いでいると


「若い人がいてくれてよかった!
頼もしいわ」



と70代後半ぐらいの
上品な女性に声をかけられました。


家に帰り、
とびかかって喜ぶ犬を
いつものようにあしらいながら、
あれ?なんだかわたし、気分が明るい。
会長にならずにホッとしたのもある。
あるけど、それだけじゃなさそうだ。


はて、なんでだろう?


そうです。
ご想像どおり、


「若い人」と言われたからです。
「若い人」と言われただけでなく
「明らかに自分が、ほぼ一番若かった」からです。


なんか、こう、
幸先がいいような、
自分が、何とはなしに
優位性を得たような
周囲に気を遣う人がいないような、
そんな気がして
ウキウキしているのです。


相対的な若さがもたらす
ヤングな立場という僥倖



とでも申しましょうか。
我ながら滑稽だなあ、単純だなあと
苦笑しました。


それにしても人は、なぜ、
若さに優位性を見出すのでしょう。
人は、というか、わたしは、ですか?
いや、やっぱり、人は、じゃないか?
生物として強いからだろうか。


いずれにしろ、
超高齢化社会が偶然に与えてくれた
「若者」の立場をありがたく享受して
機嫌よく、あれを手伝い
これを手伝いしながら
役割を全うする所存です。


…しかし
次の自治会の当番が回ってきたとき、
わたしは、70代なかば。
ここにいる何人かの方々は
亡くなっているかもしれません。
このマンションは
これからどんどん姿を変えていくのでしょう。
そして誰もいなくなるのか。


自分の住環境の未来図を
ズシリと暗く、重たく
受け止めた日でもありました。


安住の地なんてないのかも。
万物、老いる。
人のみならず。ふー。




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