他人の「大変なこと」を集めて自分を安心させる、老いの心情。



婦人公論に掲載された拙著の書評が
ウェブに公開されています。
ぜひ、お読みください。
こちらです。



父は、79歳で亡くなったのですが、
晩年、わたしが、
たまたま帰省していたとき、
「〇〇さんも、
これこれこういうことがあって
苦労しているらしい。大変かねえ」
と母に話しかけていました。
共感を求めるような口調から、
やや大げさな同情がのぞきます。


ごく普通の会話なのに
なぜか、強烈に覚えているのは、
「ああ。お父さんも老いたなあ」
と思ったからです。


〇〇さんという、わたしは知らないけど
父と母の共通の知り合いが
苦労している、
大変みたいだ、という話題に
父自身が安堵している。
「ああ。父は、母と
こういう話題をしているとき、
居心地がいいんだ」と思いました。


「大変なこと集め」
とでも名づければいいでしょうか。


「あの人も大変。
この人も大変」と
大変な人たちに思いを馳せ、
もちろん同情するのですが、
同時に安堵もする。深く。


他人も大変なんだ、
と思うことのなかには、
かすかに甘美な成分があって
その甘美さが、自分を包み許す。
「これでいいんだ」と思える。


そんな父の
「揺さぶられたくない」
気持ちが伝わって
年をとったなあと
感じたのだと思います。


わたしも年とともに
この「大変なこと集め」が
わかるようになってきました。


自分自身の夫が
倒れただけでなく
わたしの友人のなかにも
若いときには
思いもしなかった
困難や不幸や大変さの
渦中にある人が
いるからです。


ただ、この
「大変なこと集め」は
同情という
正しく優しい感情に
支えられているふりをしながら
「自分の気持ちを
揺さぶられたくない」
という別の、
保身的な
強い願望によっても
支えられているので
ときに、嫉妬の温床にもなる。


同情や憐憫には積極的で
祝福や称賛には及び腰になりがちです。



気をつけねばなりません。


「老いる」ということは
「自分を顧みたくなくなる」
ということ。


父の「あの人も大変だ」
という同情のそぶりのなかに
他者との比較と競争から
いくつになっても
逃れられない煩悩を感じとったのでしょう。


まだ若かったわたしの
父に向けるまなざし、
残酷ですね。


いまは、その気持ちが
とてもよくわかる。
父は、弱っていく自分を
自覚していたから一層、
他人の大変さのなかに
心の平穏を見出そうとしたのだと思います。
「みんな同じだ」
「自分はまだましだ」
と思って得られる平穏。


その切なさも
そこに、かすかだけれど
確実に含まれる
人間的な卑小さも
いまは、愛しく思えます。




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