この日曜は、義父の法要で
数年ぶりに親戚が集まりました。
小さかった甥や姪は、みんな大きくなって
一番上はもう33歳。
一番下でも17歳。
まだ、みんな結婚していないので、
にぎやかな空間に子どもゼロ。大人のみ。
若者と中高年、以上終了。
気分は、もう浦島太郎ですよ。
リアル浦島太郎。
ああ。わたしが乗っている時間の列車は、超特急なんだ。
いや、リニアモーターカーだ。
墓場までハイスピード。ノンストップ。
って思っちゃった。ほんとに。
しかも、法要だから喪服や黒っぽい服を着ますからね。
自分が幼いころや若いころに見た
母やおばさん、おじさんと
自分の姿がかぶる、かぶる。
お寺からお墓まで
三々五々歩いたんですが、
義理の兄弟姉妹や
老いた義母の背中を見ながら、
それぞれが黙ったまま
決して口に出さないけれど
「時の列車」の速度に圧倒されているのだろう。
と感じました。きっとわたしだけじゃないはず。
「早いねえ」
「大きくなったねえ」
「年をとるはずよねえ」
という、どこででも耳にする、
会話に困ると自動的に口から出てくる
これらの月並みな感慨も、
人生の折り返し地点を明らかに過ぎたころから、
自分が木々の緑と同じように
生まれて、育って、繁って、枯れて、落ちるんだと
自らに言い聞かせる「おまじない」みたいなものになるんですね。
もっとずっと年をとった人たちが
「ぬぐいがたい孤独感」を
何食わぬ顔をして、日々、やり過ごしていることを思うと、
すごいことだと思います。
あのおじいさんも、あのおばあさんも、すごいよ。
年の瀬には、「この一年もよく孤独に耐えて静かに過ごしました」って
表彰してもいいぐらいです。
それから、
わたしが小さかったころに「よくいる感じのおじさん」と
目の前にいる「よくいる感じのおじさん」は
もちろん別人に決まっているんだけど、
でも、いつの時代も「よくいる感じのおじさん」は
どこかから湧いて出てきて「おじさんたちのいる風景」を作り出していて
そのことも、ちょっと不思議。
自分もきっと「よくいる感じのおばさん」なんだろうけど、
もし、そうだとしたら、それも不思議。
90歳ぐらいのおじいさんやおばあさんが
みんな似て見えるように
わたしたちは、次第にとても似た容姿になる。
「個」から「類」になるというか。
そうなるまでの時間、
せいぜい「個性」を抱きしめて
ああでもない、こうでもないって
努力したり、競ったり、喜んだり、落ち込んだりしていましょうよ。
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