こちらの記事にも書きましたが
昭和のよそゆき文化のなかで育った世代は、
カジュアルという「くだけ感のある外出着」が不得意なうえに
いくつかの呪縛があります。
なかでも、
「年とともに上質なものを着るべし」
「暮らしは丁寧に営むべし」の
ふたつの「べし」の呪縛が強い。
2013年にこんな記事を書いています
→「上質なものでなきゃ」と思うと行き場をなくす?オシャレ心。
憧れ呪縛ですね。
「上質」には、高級、本物、教養、審美眼などの
「丁寧」には、手間、繊細、慈愛、手仕事などの
価値が含まれているので
憧れとある種の劣等感をかきたてます。
しかし、ふと我に返ると
親世代よりビンボーなわたしに
子どものころから不器用で雑なわたしに
できるのだろうか?そんな暮らし。
そもそも「生活」にそのハードル、高すぎないだろうか??
わたしには、暮らしの能力がないのだろうか。
ことさらに上質でも、丁寧でもない暮らしを生きるわたしには。
いやそんなことはないぞ。きっと、あるはずだ。
見落とされているけども、
本質的な能力があるはずだ。
あった。雑事・雑駁・雑品のコントロール力だ!
雑多なことどもをこなし、
雑駁でパッとしない日々に耐え、ときには笑い、
今日はアマゾンの段ボールを折りたたみ、
明日は中古マンション販売のチラシを片付け、
ありとあらゆる雑品をしまい、捨て…。
雑を受け入れ
雑の浸食に抗いながら
雑な暮らし寸前で押しとどめるチカラ。
偉い!!
「雑」をコントロールする達人として
おしゃれ方面でも「雑味」の演出をめざしたい。
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