先日、京都のまちを歩いていたら
小さな仏具屋さんのなかで
おじさん二人が談笑しているのが見えました。
一人は店主で、一人は出入りの業者さんでしょうか。
その姿勢や動作から
やや社交辞令ぎみの会話であることがわかります。
年末の個人経営のお店。
奥から聞こえる生活音やテレビの音。
クルリと巻かれて並んだ配布用のカレンダー…
かつてよく見ていた光景や音や匂いや
大人たちの声が蘇ってくるようで
一気に懐かしくなりました。
あの仏具屋の「おじさん」ふたりは、
わたしが子どものころに見たおじさんとは違うのに、
(わたしより年下の可能性だって大!)
「子どものころに見たおじさん」のような「おじさん」になっている。
いつの、どの段階で、
わたしたちは、
「子どものころに見たおじさん」や
「子どものころに見たおばさん」になるのだろう。
いったいどこから、
「子どものころに見たおじさん」は
湧き出てくるのだろう。
おじさんじゃなかったはずなのに!
あらゆるタイプのおじさんとおばさんが
過不足なく、満遍なく
いつの世も、ちゃんと世の中を満たしている!
不思議だ。
男性に比べると女性は、
服装や髪型が若々しくおしゃれになったので、
「子どものころにみたおばさん」のような「おばさん」は減った気もするけど、
でも、ほんとうにそうなのだろうか??
やはり「おばさん」は「子どものころに見たおばさん」になっているんじゃなかろうか。
そのあと仕事を終え、市バスの窓から
夕暮れの京都のまちを見ていたら、
「ああ。あんなおじさんがいたなあ」
「ああ。あんなおばさんがいたなあ」
というような茶色や黒の上着を着たおじさんやおばさん、
おじいさんやおばあさんが、
それぞれの用事で静かにひっそりと年末のまちを歩いていました。
子どものころに見たおじさんやおばさんは、
もうほとんどこの世におらず、
新しいおじさんと新しいおばさんが
ちゃんとおじさんとおばさんとなって
2016年の年末の風景を作っている。
わたしもその一員。
この「いま」を羽交い絞めにして
時間を止めてしまいたいような、
自分も流れていくのが心地よいような
不思議な気持ちで帰ってきました。
ひとつひとつ年をとっていくことも、また
世の中での役目を果たすということなんですな。
ときに身をまかす社会貢献。
みなさま、よいクリスマスを。
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