先週、映画「沈黙」を見に行きました。
いい映画でした。
でも、痛恨の出来事がありました。
ラストシーン、エンドロールに入る寸前のことです。
みんながまだ息をつめてみているさなか、
わたしの二列後ろに座るおじいさんが
「は~~~。終わった、終わった!」
と、「終」にアクセントをつけたしゃがれ声で
大きく息を吐きながら言ったのです。
2時間40分におよぶ濃密な鑑賞経験、
観客の心は、キリシタン弾圧下の過酷な長崎を見つめながら、
あっちに揺れ、こっちに揺れしていたのです。
言うならば、極度の「緊張」状態。
ちょっとした無呼吸状態です。
息に飢えている状態といっても過言ではありません。
エンドロールを見つめながら
少しずつ落ち着かせ、
ときに場面を振り返り、ときに自問自答しながら、
ゆっくりと整えたい息。貴重な息。
映画を楽しめた人も、楽しめなかった人も、
それぞれのタイミングで、
それぞれのニュアンスで吐きたいに違いない息。
息を吐きながら戻ってくる現実世界。
それを、それを…。
このおじいさんは、劇的なピークでひとり勝手に吐いただけでなく、
その「は~~!」ときたら、「は~~!」ときたら、
「ババンバンバンバン♪ (ハー ビ バ ノンノン)♪」
の「ハー」から上機嫌さを抜いて
気だるさだけを残したような「ハー!」。
苦役から解放されたが、その先にもさほどの楽しみはなしの「は~!」
しかも、ダミ声。
こんな終わりを迎えるはずじゃなかった
「沈黙」との逢瀬!
その後も、おじいさんは
隣に座るおそらくは奥さんに
「そもそも豊臣秀吉がな…」と
キリシタン弾圧史・俺解釈を語っていました。
奥さん、頼む。「うるせえ」って言ってくれ。
おじいさんは耳が遠くて
小声で言ったつもりが
会場中に響く声になっていたのでしょうか。
それとも年を取るごとに、せっかちになっているのでしょうか。
その後、別のおじいさんですが
エレベーターで先に出てもらおうと
ボタンを押したまま待っていたら、
「お。ここ、1階やな。よし」と
わたしのほうを一顧だにせず、
前を見たまま、こちらもダミ声で進行方向を指差し確認し、
けんもほろろに出て行かれました。
声は小さく、
会釈は大きく。
世のおじいさま方にお願いしたい。
…とここまで書いてきてハッ!と思いました。
わたしも、お店の横を通りながら、
「ここの服、売れそうにないな」などと小声で言ったつもりが
娘に「声、でかい。それやめて」と言われているではありませんか!
声は小さく、
会釈は大きく、
悪口はその場を去ってから。
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