たとえば、
「樹木希林さんのようになりたい!」と思いたち、
あの方のように老いを先取りして
あの方のようなヘアスタイルと服装で
友だちとの集まりに出かけたとします。
「樹木希林さんのようなオシャレ」は、
見る人が見れば、「ああ。あの方向性だな」と
わかってくれるものでしょうが、
樹木希林さんという個性と強く紐づけられてもいるので、
樹木希林さん以外の人が、その雰囲気をめざすと、
「どうしたの!?老けたよ」とか、
「ちょっとは若々しくしたら~?」とか
「顔色悪いよ。不幸なの?」などといわれかねません。
(老けた、不幸などの破壊力のある言葉に心が折れる)
さきほど「見る人が見れば」と書きましたが、
ということは、「見ない人には見えない」。
めざす方向性を発見してくれないし、
それが「魅力」の発信だと理解してくれず、
当然のことながら評価もしてくれないわけです。
おなじように
「年齢にとらわれないド派手で自由なファッション」や
「あえて服装やメイクにはこだわらないと決めたすっぴんスタイル」なども
その外見の向こう側に
「天然のおもしろさ」や「風変りさ」、
「気骨」「飾らない性格」などを見てくれなければ、
そしてそれらを人間的な魅力と感じてくれなければ、
「変な若づくり」や「ダサい」ということになってしまうわけです。
ことほどさように
「魅力」は、自分だけでは成立しないのです。
それを発見し、評価してくれる人がいてはじめて
魅力になる。
自分の描く「魅力」や「素敵」と
相手の描く「魅力」や「素敵」が
大きく異なっていれば、
互いの間に憧れも称賛も生まれないわけです。
だから、心折れなくていいんだよ。(あなたも、わたしも)
自分が美しい(好ましい)と思うものに自分を近づける。
こうありたい、と思う方向に歩む。
というのでいいし、
それが一番いいんじゃないでしょうか。
「こう見えたい」から、
「こうありたい」へ。
「こうありたい」は、
「こう見えたい」や
その裏返しな分だけ頑なな「どう見えてもいい!」に比べて
「影響力をもちたい」という呪縛から遠くてよいと思います。
あと自分が魅力を見つける人になる。
これもいいよねえー。
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