又吉直樹さんが、どこかで
「ぎっしりと本が並んでいるところに身を置くと
『ここには、自分と同じように
夜通し苦しみながら文章を書いた大勢の人たちがいる』と感じて
しばし孤独を忘れる」というようなことを書いていました。
書架に並ぶ本を
又吉さんのようなまなざしで見つめたら、
あらゆる時代、あらゆる場所で
文章を書き綴った人々の
焦燥や集中や想念が空間全体を満たして
筆記具を走らせる音や息づかいまでが
聞こえてきそうです。
そう考えると書店も図書館も
どこか賑やかで濃密な空間になりますね。
いのちが吹き込まれるみたい!
古い家に魅かれて住みこなそうとする人も
あちこちに残る暮らしの痕跡から、
「こんなふうに料理をしていたのか」
「ここで夕涼みしていたのかな」などと想像し、
かつて、そこに住んでいた人たちと
どこかでつながっている感覚をもつのではないでしょうか。
なんかねえ。おもうのですが、
人生、そうそううまくいかないじゃないですか。
悲しいこともあれば、
憎らしいこともあれば、
妬ましいこともあれば、
めんどくさいこともあれば、
うっとうしいこともある。
いろんな思いを抱えて
それなりに懸命に生きてきたあの場面、この場面の記憶は、
これから役立つのではないか。
(うまく役立たせるか、呪詛に終わるかは、自分次第)
たとえば、
思い悩みながら皿を洗った日々が、
おなじように「思い悩みながら皿を洗った」
かつての人々とつながる手立てになる。
とでもいいましょうか。
自分が過去と未来が接する点になって
いまを生きる人とも
過去に生きた人ともつながる。
そんな想像力と共感が孤独な時間を
「どこか賑やかで濃密なもの」にしてくれるんじゃないかなあ。
そうあってほしいなあー。
前回もメイ・サートンの著書「夢見つつ深く植えよ
今日もひとつ。
「そう、ほんとうにきれいよ。
でも、この家では誰ひとり亡くなってないでしょう。
だからどうしてもここでは落ち着けないのよ」
うーん。たまらん。死者と親しみ、それを安らぎとする高度なワザ!
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