親愛は「いらないものと、やってくる」。それもいつか懐かしい?


昨日、お隣のYさんが、
「じゃがいもを丸ごと茹でて皮をむいたもの」を
山盛り、もってきてくれました。


ありがたくもらって、
ポテトサラダにしてもよし、
ポタージュスープにしてもよし…と
思っていたけど、
いざ料理をするときには忘れてしまって
いまも冷蔵庫で出番を待っています。


今日、お隣のYさんは再び、
「じゃがいもを丸ごと茹でて皮をむいたもの」を
山盛り、持ってきてくれました。


昨日と今日の違いは、じゃがいもの大きさでした。
今日のじゃがいもは、一口サイズです。


「ああ!これだと、このまま煮っ転がしにしてもいいし、
フライドポテトしてもよさそう!」と
ありがたく受け取りました。


Yさんちには、家庭菜園をしている友だちから
いろんなサイズのじゃがいもが届いたんだそうです。


Yさんは、うちに旅のお土産や手作りのお寿司などのほかに
「もう誰も弾かなくなった古いギター」
「まだ新品同様だけど娘さん(40代)が履かなくなった安そうなソックス」
「奥さんが折り紙で作ったお手製の小箱 色とりどり」
「株分けして大きくなった『金のなる木』の鉢植え」など
個性豊かなものを、いろいろもってきてくれます。


「これ、うちではいらないけど隣は使うかも!」
って、なっているんでしょうね(笑)。


Yさん夫婦は、おじさんのほうは80歳ぐらい、
おばさんは70代半ばとまだ若いのですが、
「いまどきの元気な高齢者」像とは違って
「静かに余生を送るお年寄り」という雰囲気。


どうも、おふたりにとってわたしたちは、
マンションができて20年後に引っ越してきた
「新しくやってきた人たち」のままで、
「若い親子」のままのようなんです(55歳だけど!!)
娘も当時は、2歳だったしなあ。
(それから18年、経ってるけど!!)


Yさんが持ってきてくれる
お手製のてんぷらやお寿司や炊き込みご飯は、
質素な暮らしぶりが伝わる
ちょっと甘めの、懐かしい味のものばかり。
もう何度ももらっているのに
そして自分は「おばあちゃんの味」を食べたことがないのに
「おばあちゃんの家でごはんを食べている」ような気分になるんですよね。


そこに、ときどき
錆びたギターや
古いソックスや
折り紙小箱の山や
大昔のキャラクターグッズがぶち込まれて
びっくり仰天し、
しばし、玄関に立ち尽くすのですが、
まあ、使えるものは使えばいいし、
こっそり処分してもいいし、
しばらくうちに置いておいて
ほとぼりが冷めたときに処分してもいいやあー、
と思っています。


つつましく暮らすやさしい年上の人たちが
自分ではどうしても処分できないものを
こっちが受け取って
たまに代行するぐらい別にいいや。
…なんて思えるのは、
Yさんたちが、「それ以外のことでは常に心地よい距離を保つ、
信頼できる誠実な人たち」で
「こちらが本当に迷惑なことはしない」と
わかっているからですけどね。


そういえば、わたしの亡くなった母は、
「こんなもの送ってもいらんやろ!」と言って
手作りの料理などはまったくといっていいほど送ってこず、
新品の下着など「買ったものだけ」を送ってきましたが、
今となっては、
「もっといろいろ手作りのものや郷土のものを送ってきて
『こんなのいらないよー』とフン!と迷惑に思いながら開封し、
ポイと捨てちゃったり、腐らせたりしたりと
ウンザリさせられてもよかったなー」
と思います。


「懐かしさ」は、
「多少は被った迷惑」も加味されて
より一層深くなったりするんじゃないだろうか。



しかし、じゃがいも!
ほんとに、今日こそはなんとかしなければ!(と思ったけど今日も食べなかった!)
茹でずに、生のまま、くれる、
という選択肢はなかったのだろうか!?
せめて今日の分ぐらい!


あ。Yさんのこと、ここにも書いていました。
あげたほうは覚えていて、もらったほうは忘れる法則。
やっぱ、いとしいな。





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