今朝の「とくダネ!」でキャスター・小倉智昭氏が
「私たち、団塊の世代は50年前に成人式で、
そんなに大イベントじゃなくて、
成人式に参加する人のほうが少なかった。
もう着飾るのはやめたほうがいいんじゃないか」という発言を聞いて
「あ、あれ???」と思いました。
小倉氏は、1947年生まれ。
わたしの姉に2つ年上です。
姉の成人式の日、わたしは、8歳だったんですが、
そのときの様子は鮮明に覚えています。
母が張り切って仕立てた振袖を着た姉と
同じく20歳になったいとこのおねえちゃんとその家族もいっしょに
高級しゃぶしゃぶを食べにいったからです。
なぜ、成人式に、
晴れ着を着た娘さん二人を連れて
ゴマダレだの、ぽん酢だので汚しそうな
しゃぶしゃぶに行ったのかは謎ですが、
その日、ふたりの若い女性が
華やかな晴れ着を着ており、
それが別段、特別ではありませんでした。
むしろ当時は、成人式でなくても
大晦日に「新日本髪」とやらを結いあげ、
晴れ着を着る若い女性は
今よりずっと多かったように思います。
(うちの姉ちゃんもやったことがある)
たしかに地方自治体主催の式典に参加する人は、
当時は少なかった(学生運動の時代でもあるし)し、
(わたしたちの時代ももっと少なかった気がするけど、どうですかね?)
習わしに反発したり、経済的なゆとりがなかったりして
成人式に晴れ着を着なかった人も大勢いるでしょう。
でも、そんなに地味で質素だったか??
今より、柄や色彩は、地味で質素だったかもしれないけど、
十分に派手を志向していたぞ。うちんちみたいな大衆ファミリーも。
あの1970年前後!
過去は、地味で質素だったってことになりがちだ。
この調子だとバブル時代だって
あと50年後ぐらいには
地味で質素だったってことになりかねませんよ。
今回、「ハレノヒ」問題で
振袖を借りたり、作ったりした人の平均金額は
30万円ほどだそうで、
レンタルというシステムがあるだけでも
十分に質素倹約。
実際はむしろ、そっちでしょ。
過去は「貧乏」で「地味」で「質素」で
「手作り」で「真心」で…ってほんとなりがち。
テレビのなかの人も
「当時は貧乏で、そんなものなかった!」って語る人が多いんですが、
その人たちが、40代だったりすると
「え??え??そんなに何もない時代だった?」って
違和感を覚えます。
スマホはなかったけど、
「もののあふれた時代」を生きている感覚は、
少なくとも80年以降はずーっとありましたよ。
未来に関心がなくなるのはまずいけど
過去を鋳型にはめるのもつまんない。
過去を鋳型にはめて語りだすと
昔がどんどん理想化されて、それもまずい。
欠点はあっても今のほうがいい。
わたしは、いろいろ。
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