見守りは激務。何もしていなくても、という働き方改革を提唱したい。


台所に立っていても
パソコンに向かっていても
子犬のスーの動向を
目の端で、後頭部で見守る日々を過ごしています。






特に何をするわけでもない、
ただ見守っているだけなのに、疲れる。
夜にはヘトヘトになってる。なぜだ。


あるとき、わかりました。
いや、違うぞと。


見守っているから、疲れるんだ。
見守りこそが、疲れるんだ、と。



いきなり人間と比較して大変、恐縮ですが、
動き回る小さな子どもを視野に収めて
おかあさん同志が立ち話をしていますね。
その風景は、話に興じているようにしか見えないけど
違います。あれも疲れる。


視野のなかに収めた子どもが
道路に飛び出さないか、
お友だちとケンカをはじめないか、
道行く人にぶつからないか…
監視ソフト、起動中。


道路への飛び出しも
友だちとのケンカも
通行人との衝突も
すべて「未然に防ぐ」ことが重要なので
「あらゆる起こりうること」を
子どもの「所在地と行動・言動」から割りだし、
ときに声をかけ
ときににらみをきかし、
ときには制圧に出動せねばなりません。


年をとって衰えの目立ちはじめた親についてもそうですね。
さまざまな「見守り」活動が求められます。
いっしょに生活していると
見守りソフトは、それこそ常駐。
就寝中も稼働している人も多いことでしょう。


親と離れて住んでいる場合も
「火の元は大丈夫か。消し忘れはないか」
「倒れてないか」「ちゃんと食べているか」
「薬は飲んだか」などなど
気になることは数知れず、
それも「見守れない見守り活動」として
大変に疲れる。
実際に顔を出すと
新たな見守り必須項目が増えて
さらに疲れる。


ここで再び子犬に戻りますが、
わたしが、「育犬」の主体なので疲れるのです。


「見守り」のなかに
「失敗を未然に防ぐ」(トイレなど)や
「成長後のことを考える」(吠えや噛みなど)といった
現在、現在から展望される未来が含まれるから
疲れるのです。


さらに「塩梅」も必要ですからね。


危ない危ないと制してばかりもいけない。
ダメだダメだと叱ってばかりもいけない。
自立心をを奪ってはいけない。


あああ。めんどくさ。


この塩梅だって
あらゆる要素を瞬時に測りにかけて
はじめて算出されるので、
脳が疲れる。


見守りは、激しい精神活動である。


このことを世間に広く周知徹底したい。


寝転んでいようと
テレビを見ていようと
スマホを見ていようと
その実態は、作動中。


激務中の本人も
そのことに気づいていない場合が多いので
まずは意識改革から。


働き方改革の一環として
このことを声を大にして提唱したい。





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