毎日、ほんとに、お疲れ様です!
あの・・・それで・・・
つかぬことを伺いますが、
周囲の人々は温かく支えてくれていますか?
いえいえ、
夫や父母、義父母などの家族でなく、
近所の人とか、通りすがりの人とか
そういった若干、遠巻きの人々。
え?温かい?
それはよかった。そうでなくちゃ。
子育て大変だもんね。
よかった。よかった。
でも・・・
あの・・・
実は、とっても言いにくいことだけど、
私ね、
このところ、あんまりね
温かく見守っていません。(非難轟々だな、きっと)
なぜか。
子どもが小さければ小さいほど、
お母さんは主役だから。
主役として輝いているから。
いいじゃん。主役だもん。がんばって。
なんて、
ビミョーに突き放したい気分になっているから。
(ますます非難轟々だな)
ええ?!?信じられない!
この私の生活のどこが主役よ?
毎日、毎日、子育てに追われて
自分の時間なんて一切ないのよ!
主役なんてとんでもない!
って憤慨した?
そりゃそうだ。
もちろん、それは重々承知しているんですよ。
逃げ出したくなるほど大変だってことも
重々承知しています。
が、しかし、
自分が40代後半を迎え
思春期の子どもの母となり
初めてわかったことがある。
それは、
小学校までは母親が主役。
中学校からは母親は付き人。
ってこと。
子ども服を選ぶ。
習い事を選ぶ。
進路をあれこれ考える。
病院に走る・・・
などなど、あらゆることの
選択権と決定権を持つ
絶対的存在であるところの母親。
それぞれに境遇の違いはあれども、
その存在は、揺るぎなく主役。
だから、
幼稚園の入学式や卒業式、
母親たちはファッションに
多少なりとも気合いが入る。
小学校の入学式も、まだ入る。
小学校の卒業式も、かろうじて入る。
そして中学校、入れようとはするものの
あ、あれ?
私、どうでもいい?
みたいな。
予期せぬスピードで
親子関係の下克上が始まり、
政権移譲が実現し、
子どもたちは、
自分の人生を、
若さという暴発しがちな武器を携えて
自ら選択し、決定しはじめる。
「いのち短し、恋せよ乙女」と
志村喬さんがブランコで歌ったように、
「主役短し、がんばれ母親」と私は今、
パソコンの前で後輩たちのために歌おう。
これから先、
母親という役回りにおいての主役は来ない。
高校入学・卒業?
大学(専門学校)入学・卒業?
就職?
結婚?
孫の誕生?(このプロセスを踏むのも、今の時代、難易度高いな)
付き人度、増すばかり。
面白くねえ。
興味なし。
適当にやってくれ、娘。
再び、主役へ。
40代の女たちは、
そう一途に願いながら、
荒野のように茫漠とした
現在と未来を前に立ちすくむ。
どうするかね。
もう、十分に古びているのにね。
焦らず、責めず、へこまず、落ちず、ひがまず、
ぼちぼち行くしかないべ。
小さな選択と小さな決定を積み重ねて
オリジナルな物語は少しずつ紡がれる。
今は、華やかに自信にあふれて見える
「ちょこキャリ日記 - 整理収納アドバイザーの収納術」の
この人ですら、
はじめの一歩は
とても小さくて不安げだ。
行こか。新旧の母ちゃんたち。
歩こよ。新旧の迷える女たち。
その後ろに道はできる(はずだ)。
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