「手間をかけなくていいよ!」と言ってあげるから
相手が自由になる、楽になる、とも限りません。
たとえば、果物はなんでも
飾り切りしなければ気がすまないお嫁さんがいるとして
お姑さんとキッチンに立つたびに、
「そんなことはしなくていいの!
果物は丸のまま、ゴロリと出せばいいの!
みかんやりんごは当然!
パイナップルだってそう!
スイカだってそう!」なんて言われたら
ものすごくストレスでしょう。
飾り切りしたいんだもん。好きなんだもん。飾り切りが。
さすがにどんな果物も丸のまま出す主義のお姑さんはいないでしょうが、
「まあ。どうせ、汚れてシミになるのに
テーブルクロスやランチョンマットを使うの?
洗濯物が増えるだけなのに??」ぐらいなら言っちゃうお姑さんはいると思うな。
そんなお姑さんと同居しながら、
お嫁さんのほうが、
あの西洋風のクロスにクロスを重ね、
皿に皿を重ねるテーブルコーディネートの夢を
我慢しつづるのは、つらいものです。
「やらなくていいよ」が
面倒な作業からの解放でなく、
夢の抑圧になっちゃう。
人間関係が重荷になるのは、
ほとんどの場合、「なんとなく不自由」を感じるからです。
誘いを断れない、という軽いプレッシャー。
面倒をみて当然、という暗黙の約束、
ここではこのやり方、という変更不可のルール。
あなたはこういう人、というキャラの固定化。
こういうことのひとつひとつが
小さくても重なっていくと、
「不自由」を感じることが増え、
人間関係は、重荷になる。
真夏の日盛りに
「さあ。スイカを食べよう!」となったとき、
丸のままゴロリと出して
「切るなり、割るなり、壁にぶつけるなりして食べな」というお姑さんも
毎度毎度、スイカがぬるくなるまで時間をかけて
華麗なバラを飾り切る(カービングっていうんですね)お嫁さんも
どっちも、どうにかしたほうがいいと思うけど(笑)
どっちも好きにしていられるのが一番。
多文化共生って
「自分にとってムダにしか見えないことを
他人がやることを邪魔しない」って
ことだと思う。
そこに上下関係がからむと
もう、パワハラだもんね。
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