「おなかの減り具合に敏感な人は、 心の機微にも敏感」説。



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ひとつの現場で取材・撮影がいくつも入っていて
ゆっくりと休憩がとれないとき、
「いまのうちにお昼にしてくださいね!」の
ひと言があるかないかは、とても大きいです。


それが言える人、好きだな。
人として信頼しちゃうな。


レストランや美容院なんかで
働いていてもそうですよね。
自分がアルバイトなら、なおのこと。


「はい、休憩、行って」
「いまのうちに、ごはん、言っておいて」


そのひと言が
忙しい仕事のすき間を縫い、
ここしかない!という絶妙のタイミングで
つまり「まだかなあ」とバイトが待ち遠しく思うより以前に発せられてこそ、
わがチーフ!わが店長!


おなかの減り具合に敏感な人は、
心の機微にも敏感だと思うな。



もう30年以上も前のことです。


ある事務所でバイトをしていたとき
給湯室の冷蔵庫に立派な柿が入っていました。
冷蔵庫に入れているとはいえ、
次第次第に熟してきて、
皮の色が濃くなり、細かいシワがよっていきます。
手でつかんだら、ズルリとむけそうです。


バイトのひとりの子が
当時30代後半の女性チーフに
「柿、みんなで食べませんか」と言ったら
何か理由をつけて許可されなかったのですが、
数日後、そのチーフが
給湯室で流し台に向かってあごを突き出すようにして立ち、
熟した柿を丸ごと手づかみで食べている姿を見ました。


ずぶずぶに完熟した柿の果汁を
ぼたぼたと流し台に落としながら食べるのが
この上なく好きなのだろうか。
それとも、「このままでは腐ってしまう」と思って
仕方なく食べているのだろうか。


会社や学校など
「自由に飲食してはいけない場所」にある食べ物は、
家にある食べ物の何倍も価値が上がり、
ある種の執着をもたらすのだな、と
そのどこか淫靡で強欲な「ひとりじめ」を見て思ったのです。


どんな時代になっても
世の中に食べ物があふれていても
人間は一定の時間を経ると必ずおなかが減るので、
食べものへの欲はあなどれません。


武田百合子の「富士日記」に
誰かの家を空腹なまま尋ね、
テーブルにあるお菓子を
「早く、どうぞ、召し上がれと言ってくれないかな」
と切望しながら座っている場面がありますが、
これも、わかる。
わかりすぎて忘れられません。


食べていいのかダメなのかわからないままに
「食べものがそこにある」限り、
「おあずけ」。
犬でいうなら、
「おすわり」「待て」のまま「よし」のない状態。
心のなかで流れる、よだれ。


目の前に食べ物を置いた、
もしくは何らかの流れでそこに食べ物がある限りは、
「どうぞ」と勧めないと酷ですね。
「いや、結構です」って遠慮されたにしても
その人は、そう口に出しただけで
食べものから意識を離すことができたはず。
不思議なものです。


ごちそうを前にした長い説教や
ごはんの時間を無視した行動も罪深い。


「おなか、減ってない?」と
しつこく聞いてくるオバチャンもあれですが
気にしないより、数億倍素敵!!
おいしいごはんを出してくれるなら
最高に素敵…
なんて書いてるわたしがおばちゃんなんだから
「おあずけ」おばさんじゃなくて
「どうぞ、どうぞ」おばさんであろう。


それって、ささいなことのようだけど
人間の本質的な美徳ですよ。


空腹、渇き、暑さ寒さ、眠気、疲労、痛み…
生理的な状況を慮ることが、一番の思いやりだと
年とともに思います。





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