理想が崩れてから 「家」の歴史が、「犬」との暮らしがはじまる。


犬と暮らしはじめるとき、
だれもが、多かれ少なかれ
「理想のイメージ」を思い描き、
そのためにがんばろうとするんじゃないでしょうか。


「家のなかでは大人しく、
散歩は飼い主の前に出ることなく静かに歩き、
ボールやフリスビーで遊ぶときには
思いっきり遊ぶが、
その興奮はすぐに収まり、
飼い主の指示に進んで従う。
子どもにも、お年寄りにもいつも友好的で
吠えない。咬まない、は当たり前。
ときには、悲しみに沈む飼い主を思いやり、
そばに寄りそって慰めることもある」みたいな。


ああ。こうやって書いているだけでうっとりする…。


なんかちょっと「憧れのマイホームを手に入れたとき」の
夢のふくらみ方に似ていますね。
(「家」のコマーシャルには
こんな感じの犬が出てくるし!)


おしゃれなリビングでのホームパーティー、
テラスでゆったりとブランチ、
キッチンに立って腕をふるうにこやかな夫と
それを見つめて微笑む妻と
ほどよくはしゃぐが奇声を上げて駆けずり回ったりしない子どもたち…。


しかし、そこに住む現実の「人間」というもの、
ダンナから子どもから舅から姑から、
だれひとり理想的な行動をしてくれないんですね。
子どもは駆けずり回るし、
ダンナはカップラーメン食べてはほったらかしにする、
頼みの綱である、この自分でさえも思ったように行動してくれない!
すぐに片づけたくなくなる、面倒くさくなる、
ホームパーティーに招くような友だちもいない。


そして、いつの間にか、それなりの、
家族のだれも無理しない自然体の暮らし方と
その器としての雑駁な「家」になっていくのです。


犬も似ています。


志高く飼ったものの
家に迎えたとたんに次々に頓挫、挫折し、
家族のだれも無理しない、自然体の犬との暮らし方
(多少の妥協や我慢もあるが、
それも含めて空気のような存在になった犬との生活)
になっていく。


そもそも犬の個性は千差万別だし、
ここでも!頼みの綱である自分自身にさえ!裏切られる!
堂々たる、一貫性のある態度で
犬のしつけを貫徹できる人間じゃなかったんだ、自分は!と気づくわけです。



憧れが崩れてから
「家」の歴史がはじまるように
理想が崩れてから
「犬」との暮らしもはじまる。



時として「理想」への執着は、
家族や犬の支配へと向かい、
心を壊してしまうこともあるので
妥協して後悔するより
取返しのつかない悔悟につながりかねません。


うちの犬スーは、もうすぐ10カ月。
散歩のとき、わたしの前をひょこひょこと歩き、
干からびたミミズを隙あらば拾い食いし、
うれしくなると今もって甘噛みしますが、
すでに「空気のように気にならない」という
やや老犬風味の味わい深い存在になっています。


このまま、のほほんと穏やかに機嫌よく
ずっと一緒にいてくれればいい。大好き。


キラキラ光る理想が
壊れてからの~
ジワジワ来る慈愛。





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