自分にとって「いいもの」とは、 「どこで手を打つか」と同じだ。


一昨日、姪ふたりが気分転換にとランチに誘ってくれました。


姪は、義姉の娘さんで33歳と31歳。
ひとりは知的障がい者施設で働き、
もうひとりは理学療法士をしています。


ランチは、夫の病院からそう遠くない新しいカフェ。
食事のあと、併設されているインテリアのアウトレットショップを
見て歩きました。


そのとき、妹のほうがお姉ちゃんに
「布団、買えば?」
と言ったのです。
東京に住む自分が、
姉の家に泊まるとき、
寝心地のいい布団に寝たいのでしょうね。


「ああ。そうやな。でもニトリに6000円台でセットがあったわ」
「全部で?」
「うん。それにしようかな。安いし」
「布団は長く使うから、いいものにしたら?」
「いいものかあ!悩むなあ!」


という会話。
うんうん。この文脈で「いいもの」という案を出されたら、
揺れるよね。悩むよね。
だって「いいもの」が「いい」に決まってるもん。
さらに「いいもの」には
「長持ちする」「結果的に安上がり」という信仰もついてくる。


叔母ちゃん、ちょっと会話に入れていただきましょう。


「わかる、わかる。『いいもの』が何かって難しい問題よね。
叔母ちゃん、この年になっても答えが出せてないよ!」


そう言うと二人の姪は大笑いしていました。


「いやほんとに。つまるところ、
『いいものとは何か』とは、
『どこで手を打つか』と同じな気がするよ」




娘さんたち、いま、叔母ちゃんは
ちょっといいことを言いましたよ。
この叔母ちゃんが口にした言葉の重みを
あなたがたは、これからの人生で何度も感じるでありましょうよ。


どこかにある「いいもの(本物)」を思い描き、
それこそが本来手に入れるべきものなのに、と感じながら、
自分がいま、手に入れているものや
手に入れようとしているものは、
「いいものじゃない(偽物)」だと感じる。


その不自由極まりない「いいもの縛り」に
終止符を打つには、
自分が「どこで手を打つか」を決めることだ。


布団もそう。
バッグもそう。
食器もそう。
旅行もそう。
なんなら、今の私にとって切実な医療だってそう。


いわゆる「身の丈を知る」ってことなんでしょうが、
その言い方は、ちょっとつつましくて大人しい。
丁寧な暮らしを想起させて
結局「いいもの信仰」に引っ張られる。
一方、「ここで手を打つ」というと
自分で決めて行動する、
迷いをぶった切るニュアンスになりませんか。
欲望と手打ちするのですよ。勝負師みたい。


人生は、「どこで手を打つか」を決める行為の連続。


どこで手を打つかを決められれば、
一式6000円の布団だって堂々と「いいもの」。





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コメント

いいお言葉でした

そうですねー。品物みたいにパッと買ってしまえるものでしたらわりと思いきれますが、手に入れるのに時間がかかるものだったり、その上高額だったりすると、一度「これで手を打とう!」と決めた決心がその途中でぐらついたりね。自分にとって何がいいか、どこに重点をおくかということが、その時々によっても変わりますから。
しかも、自分の価値観が変わるばかりではなく、さんざん吟味して選んだつもりの手に入れたものが、どんどん自分の思っていなかった方向に変わっていったらどうしたらいいのかなあ。
手を打った時の決心を尊重するか、新しいものを手に入れるか、自分を合わせていくか。
私もこの年になっても答えが出せませんね。

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