9月1日に夫が倒れて、間もなく2カ月。
残念ながら意識の状態はまだよくありません。
最初のころは、親戚が多くやってきたので
寝た子を起こすみたいに
胸元を軽くパンパン叩いて
「ほら、来たよ!目をあけて!」と
大きめな声かけをする人が多く、
わたしも、「な、なんかこれって違和感、
下手な芝居みたいだぞ」と思いながら
同じようなことをやってみることもありました。
いまは、面会に行くのはほぼわたしひとりなので
家で日ごろ、話していたように
いろいろなことをフツーの声でフツーに話せて
ずっと気が楽です。
ここからいきなり自慢をぶち込みますが、
先日、看護師さんに
「お元気なときは、やさしい方だったんですか」と尋ねられました。
なんで急にそんなことを言うんだろうと驚いて
「はい!やさしくて面白い人でした」と答えると
「奥さんの接し方を見ているとわかります。
なかなか、そういうふうにはできないので」と言われたんです。
夫は、いつも笑っちゃうくらい鼻毛の手入れをする人で
電動鼻毛切りと鼻毛切はさみの両方で入念に手入れしていたので
たとえ、寝ていても鼻毛が出ているのはさぞかし嫌だろうと
ちょくちょく鼻毛を切っていたため、
「ヒゲのみならず、ハナゲまで!」と
大きな感動を呼んだのかもしれません(笑)
そこで思ったのです。鼻毛はともかくとして
見られているんだなー、と。
患者の家族は、「忙しい看護師さんを目で追う」時間が多いので
つい自分が「相手を見ている」と思いがちです。
「自分も見られている」とは、なかなか意識しにくい。
しかし、看護師さんは、
大勢の患者とその家族を
忙しく立ち働きながら常に定点観測しているんですよね。
ある瞬間に目に入った行動、
ある瞬間に耳に入った言葉などから、
さまざまなことを記憶し、判断しているのだろうと思いました。
もちろん、プロの医療人ですから、
そんなことは決して口にはされませんが
「患者の家族」の明暗、虚実、本音と建て前を
知り尽くしていることでしょう。
で、看護師さんに褒められた話を
かつて中学の教師だった長崎のねーちゃんにしたら、
「ああ。わかる。先生も同じよ。
保護者一人ひとりば、ものすごーーく見とるよ。
そして、先生どうし、感想ば言い合うとよ!」
と熱く語っていました。
そうか。学校の先生もそうか。
そうだよなあ。
飲食店とかコンビニの人もそうだよなあ。
自分が「その他大勢」に紛れていると思うとき、
実は細かく「定点観測」され
ときには記憶され、
情報交換までされているのだ。
当然のことなんですが、
つい忘れてしまうので
改めて心に刻みました。
この2カ月、わたし自身も余裕がないなかで
「その他大勢」にまぎれている気分になっていました。
「看護師さんたち、夫をちゃんと見てくれているだろうか。
大丈夫かな。気づいて、気づいて。こっち見て」と
ひな鳥が親鳥を待つような気持ちになりがちでしたが、
自分は、看護師さん一人ひとりを
「人間として」ちゃんと見ようとしていただろうか。
伝えるべき感謝を、
伝えるべき言葉で
ちゃんと伝える努力をしていただろうか。
少なくとも、先日、「やさしい方だったのですか」
と尋ねてくれた年配の看護師さんには、
その言葉をかけてくださったお礼を
どこかで言いたいと思います。
その一言で夫はひとりの「病人」から「やさしい人」へ
わたしも「がんばってますね」という
励ましとねぎらいをもらいました。
本当にうれしかった。
「見つめる目」と「与える言葉」の力を知りました。
どんなときも、悪いことばかりじゃないねー。
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