美しさを求めるのは、愛のある証だ。新旧やセンスに関係なく。


犬の散歩で必ず立ち寄る公園の近くに
高齢者福祉施設ができました。


犬につきあって20分ほどダラダラとその公園にいるので
工事中から、おそらくオープン後の現在まで
なんとなく見続けてきました。


おそらく、と書いたのは、
いつオープンしたのかはっきりとはわからないからなんです。


「もう入居している人がいるみたいですねえ」
「電気のついている部屋がありますもんね」


散歩で会う人もそんな感じ。


わたしゃ、自分の家族は、ここには入れたくないな。
自分も入りたくないな。


ずっとぼんやり感じていましたが、
いまは、しっかりはっきりくっきり
そう思います。


●工事中から喫煙スペースで
(玄関前に置かれた脚付きの灰皿まわり)
やたらとみんな煙草を吸っている
●建物が出来上がり、外構部分になると
いきなり熱意を失ったのか、外周りの仕上げがもんのすごくテキトー
●いつオープンしたのかわからないが
すでに入居している模様


なんというか、「美しさ」への志向が皆無なのです。


見かけを気にしない質実剛健なら、
質実剛健の佇まいがあろう。
花はなくてよし。
絵画もなくてよし、
流行りの意匠もなくてよし。
整然と片付いた機能一辺倒なら、
機能一辺倒の厳しい佇まいがあり、
それもまたひとつの「美しさ」でしょう。


なーんも、ない。
どこもかしこも雑然としてる。


新しく生まれたばかりなのに
そこにいるだれからも愛されていない感じ。
すでに荒れてすさんだ感じ。


そうなんだよなあ。
愛されている場所は、
おのずと独自の「美しさ」を備えるんだよなあ。
建物の新旧とか
センスの良しあしとか
そういうものと関係のない
心のなごむ「美しさ」。


門扉や表札もなく
求人のチラシも破れて風に揺れているから、
やむを得ぬ事情で
予算の縮小があったのかもしれません。


でも、それはそれで、どうかと思うしなー。


美しさのない
新しいだけの建物は、
「介護に興味がありません!」とアピールする
巨大な広告みたいで切ないです。


介護は日々の具体的なケアの繰り返しだと思うので、
「繰り返し」の適切なマネージメントと実践が端的に表れる
「施設の清潔さと心遣い」に不安があると
何もかもに信頼がおけなくなりますね。


美しさを求めて手をかけるのは、
やっぱり、その対象への愛なのですよね。


自分に対してもそうだな。
手をかけるのは愛のある証だ。
わたし、最近、テキトーだが
そこに愛はあるんか。






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コメント

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  • 2018/12/20 (Thu) 16:34
  • #

わかります。。贅沢じゃなくてもいい感じのものはいっぱいありますが、何の愛もない物って胸が痛くなるような感じがありますよね。でもね、もしこれが、大学の学生寮とかだったら、どんな愛の欠片もない施設運営でも、ラブあり、夢あり、元気ありで、かえってなかなかの青春の風情になっていくのかも。
年老いて弱い人には、外側からの愛が必要なんだと。。
自分に愛と時間はたっぷり使って行くことにします!

  • 2018/12/21 (Fri) 15:09
  • まる #-
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