夫を見舞ってくれる人に
「奥さんが倒れたら一番大変。自分を労わって」と
言葉をかけてもらうことがよくあります。
温かい言葉を心の底からありがたく思うと同時に
でも、ちょっと申し訳ないような、
自分はそこまでやっていないような、
ビミョーに居心地の悪い気分にもなるのです。
「夫の病」という道を脇目もふらずに歩き、
その病状をひたすら案じて心を砕きながら
日々を暮らす妻。
そんなイメージと
現実のわたしはかなり違うからです。
「夫の病」という道を脇目もふらずに歩いているのではなく、
「夫の病」という道の隣に「わたしの道」を仮設し、
その急場しのぎに作った行先のわからない道を
病む夫を横目に見ながら併走しているのが、
実際のわたしなのです。
わたしの道には、
将来の生計を案じる自分がおり、
そのために仕事に貪欲になる自分もいるし、
スーの散歩の時間を気にする自分も
帰国後の娘との暮らしを楽しみにするような、
面倒に思うような自分も、
今晩のごはんを段取る自分もいる。
「夫の病」のあらゆる問題は、
瞬時に「わたしはどうすればいい?」
に変換されるのです。
もっと端的にいえば、
「わたしはどうなる?」に。
いつからか。
最初からです。
夫が倒れたのを発見し、
救急車を待つ間、
いてもたってもいられずベランダに出て
何ごともない夕暮れのまちを見たときから。
あれが仮設道路の敷きはじめでした。
すべてが、どうなる?どうする?わたし。
わたし、わたし、わたし。
ほかの人はどうなのだろう。
…とよく思いますが、
比較しても仕方ない、とも考えます。
わたしは、わたし。
仮設の道を、
できることをしながら
日々、歩いていくだけだ。
まあ、人生ってそういうものかな。
どんな人とも、併走以外に術はなし、ともいえますもんね。
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