夫の転院した病院までの道のりが、楽しいのです。
駅の階段を上がったとたんに、
昔ながらの音漏れするパチンコ屋さんから
熟年カップルが腕を組んで
しなだれあうようにして出てくる。
その若者みたいな愛表現と
くずれたルックスにグッときます。
いいじゃないか、愛だ。愛と欲望のかたちだ。
さらに、
こんなところにこんな有名な老舗が!と驚く和菓子屋さん。
肉の値段を1グラム単位で表記している
ちょい飲みのできる高級和牛屋さん。
昔のちり紙交換みたいなアナウンスを流しっぱなしにしている
お店の奥で焼いているパン屋さん。
ちょっとびっくりするほど奥行きのある
油断するとさびれそうなところを
ぎりぎりで賑わいを保っている大きな市場。
ちょっと路地を歩けば
ビリヤード屋さんやら
店主の個性が細部までにじんだ喫茶店やら
自分は決して行かないけど街に一軒はあってほしいパーマ屋さんやら。
これまた昔ながらの文化住宅では、
どの家もよく手入れされた鉢植えを
所せましと並べていて
「そうか。『長いひとつの玄関』を共有している感覚だな。
花の手入れをするカルチャーは、
競い合うように伝染することで保たれるんだな」
とひとりしきりに納得。
ある角のごみ収集場所あたりが
またすごいんです。
「時間どおりに捨てる」
「他エリアの者は捨てるな」
「ここで犬に糞をさせるな」
「常識あるならゴミを捨てるな」
「タバコの吸い殻を捨てるな」
など主にごみ関連の張り紙が
几帳面な字で
真四角な紙に書かれて
あちこちに貼られています。
その熱意に圧倒されながら歩くと、
ブロック塀の上に何十本もペットボトルを並べて
「猫、一歩たりとも近づけまじ」という炎のような気迫を感じる家があり、
「おお。『張り紙書家』は、ここのおうちの人に違いない」と
ひれ伏すような気持ちになる。
もう、道すがら、観察することが多くて忙しいです。
張り紙書家の字が、
わたしと同年齢じゃないかと感じる
かすかに丸みを帯びていることにもしみじみするんですよえね。
縦書きに慣れた「ザ・お年寄りの字」じゃないんだもん。
嗚呼。同世代が少しずつ暇になって、小うるさくなって、
ゴミの番人として、
張り紙書家として
むやみに張り切る時代になってきたんだなーーー。
どの店もどの家もどの人も一筋縄でいかない感じ。
公のルールを守りながらも
鉢植えが道路にはみ出る程度の主張と抜け道は確保し、
たくましく、他人に小うるさく、
愛想はいいが、小さな利にさとい。
だからこそ、まちは雑多でありながらも整って美しく
人々が人々を見守る眼もあり、
あちこちで個人経営の店がなりたち、
そこここで世間話に華が咲いているのです。
これってつまり「豊か」ってことじゃない??
「いい人」でも「悪い人」でもある個人が
長年かけて築いてきた習慣から生まれる
雑多な主張や個性が混じりあうと面白いものになるぞ。
そのエネルギーってすごいぞ。あなどれんぞ。
・・・と毎度毎度励まされます。
わたしも雑多な気持ちのまま生きよう。
路地の奥に「美肌!」と書かれた小さな銭湯も見つけました。
いつか、ひと風呂浴びて帰ろう。
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