月に二度ほど、お義母さんが電話をかけてきます。
いつもだいたい、夫の様子を聞き、
あれこれと心配なことを尋ね、
それらが一段落したところで
モニョモニョと「あなたに世話に…」
「あなたに無理…」という言葉が入り、
それから自分の体調を憂えたり、
かつての苦労話に移行したりして
なんとなく挨拶をして電話を切るというパターン。
もう、85歳だし、
息子が倒れてしまったし、
その心中察して余りあるので
何も言うつもりはないけれど
…と言いつつ、ここに書く。
「私」という人間の扱いが中途半端なんだ。
私を思いやっているらしい言葉が挿入されるのは、
いつも会話の中間あたり。
語尾まで言わず、うやむやに、
なんとなく、モニョモニョと物憂げな口調。
毎度、消化不良。
たまには開口一番、爽やかに
「いつもお疲れ様!」と言えんかな。
夫もわたしも実家を離れて暮らす
お気楽な立場だったので
お義母さんと接することも少なかったけれど、
兄嫁の苦労が、いま、痛いほどわかります。
そういえば、何度も言っていたな。
「『ありがとう』と言われたことは一度もない」と。
お義母さん、それ、ダメだから!
時折、テレビ番組で
奥さんに「ありがとう」と
言ったことのない不愛想なダンナさんが、
「あいつには苦労をかけて」とか
「あいつには世話になって」なんて
テレビカメラの前で口にして
「お父さんも本当は感謝していたんです。
でも口下手で言えなかったんです。
不器用な日本男子なんです!」
なんてナレーションが入ったりしますが、
「苦労をかけた」「世話になった」と思うことと
「感謝する」ことはイコールじゃないですから。
苦労をかけたことに忸怩たる思いでいる、
ことだってあるし、
世話になったが、世話になったと言いたくない、
ことだってある。
不本意ながら
世話になった事実を事実として
認識はしているが
そのことに素直に感謝できない。
「ありがとう」と言うことが
敗北宣言のような
プライドが許さないような
そんな感覚の人もいるのです。
「(世話になったと)わかっている」ことと
「ありがとう」と口にすることは、
近いようで、実はものすごく遠い。
「ありがとう」という言葉だけが
明確な感謝を相手に渡すことができ
相手の心を動かすことができるのです。
あとのモニョモニョ発言は、
聞き手が歩み寄って
「多少は感謝しているんだろう」
と好意的に理解するだけです。
ありがとう、を言おう。
年をとればとるほど言おう。
日常的にも、
ここぞ!というときにも
ケチらず、出し惜しみせず、
心の底から「ありがとう」を言おう。
「ありがとう」は
年齢差を飛び越えて
あらゆる人の心を動かし
時に魅了することさえできる
コミュニケーションの要だ。
お義母さん!
今からでも遅くない。練習あるのみ!
記憶力抜群、頭冴え冴えなんだから!
わたしも、年寄り扱いせず、
「お義母さん、そこは、『ありがとう』と言うところですよ」と
教えてあげましょう。感謝してくれよ。
夫の発病から今日までのことを書いた新聞連載「献身と保身のはざまで」、
現在、熊本日日新聞と岐阜新聞で連載がスタートしています。
詳細や経緯はこちらの記事をご覧ください。
似た境遇の人はもちろん、さまざまな責任を負いながら奮闘する同世代の女性に伝わるようにと願いながら書いています。お住まいの地域の方、読んでもらえたらうれしいです。
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