2002年の夏から2013年の10月まで12年間、
同じメインキャストによって撮影された
映画「6才のボクが、大人になるまで。」の一場面。
大学進学で家を出る息子に
それまで冷静に接していた母が、
あることをきっかけに感情を爆発させ
「あっけない人生だわ。
事件といえば、結婚して出産して離婚した。
(中略)そしてまた離婚。
修士号をとり、念願の職に就き、
サマンサ(長女)とあなたを大学に出す。
次は何があるの?
わたしの葬式だけよ!」
と噴出するように叫びます。
そして
「もっと長いと思っていた」
と頭を抱えるのです。
もっと長いと思っていた。
人に与えられた時間は不平等で
幼くして、若くして、亡くなる人もいますが、
健康に恵まれて、人より長く生きることができたとしても
「もっと長いと思っていた」と
どこかの時点で思うのではないでしょうか。
まだこのまま続くと思っていたことが
突然、終わってしまい、
日常が変わってしまった瞬間。
変わらないと思っていたものが
変わってしまったことに気づいた瞬間。
人生は不可逆で、
過去のなかにもう一度存在することも
過去の事物をもう一度肉眼で見ることもできない。
断片的で、時として、どうでもいいことばかりがストックされていて
しかも、同じことばかり繰り返し蘇る、心もとない「記憶」だけが
自分の人生を実感する「よすが」になる。
もっと長いと思っていた。
この母親の短くも痛切な言葉は、
「人生は短い。だから一日一日を充実させよう」
というわかりやすい教訓に着地するようなことではなく
充実していようとしていまいと
そんなこととは何の関係もなく、
だれもが人生のあっけなさに遭遇すること。
そして、自分が今、まさに「余生」との境目に立っていることを実感したときに
脱力に似た空漠とした感覚をもつことを伝えてくれます。
この母親は、息子が玄関を出た瞬間に
台所に立って洗い物をして
再び机に戻り、仕事をするかもしれません。
「本を書きたい」と語る場面があるので
新しいチャレンジを始めて
生き生きと暮らすことでしょう。
でも、心の底に
「脱力に似た空漠とした感覚」は、
抱えたまま。
それでいいし、
その感覚を土台にした
軽やかさや自由もあると思いたい。
このおかあさん、男運が悪く、
アルコール依存症で暴力を振るうようになった二番目の夫から
娘と息子を救うために
玄関に友人とともに仁王立ちして
二人の名前を呼び、
抗う夫をものともせず、
車で逃げ去るのですが、
そのときの姿がかっこよかった。
友だちの家に身を寄せて
「どうしたらいいのか、わたしもわからない」と
子どもの前で泣いてしまう場面も、正直でひたむきでよかった。
二人の子どもの「記憶」に、それらの姿が焼き付いていますように。
私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、長崎新聞で8月6日(火曜)より掲載されています!
そのほかに現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報・神奈川・佐賀・宮崎日日・上毛新聞でも掲載(終了紙もあり)されています。
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