「お見舞い」というショーウィンドーを前に判断してしまうこと。


こんなことを書くと
「あんた、ダンナが重病なときに
そんなことを比べていたのか!」と言われそうですが
この間に気づいたことのなかでも
わが身を振り返ったことなので書いておこう。


何を比べていたのか。


それぞれの人の
行動や見舞いの品や金額を、です。



病院まで見舞いに来る人は、
ほぼすべて親戚か
夫の公私にわたる友人。
わたしと個人的に縁の深い人は
小学校からの幼なじみぐらいでした。


なので、わたしが知っている人もいれば、
知らない人もいましたが
それぞれの見舞い、
それぞれの金額。
そこに込められた気持ちが
「一覧となって」目の前に展開されるのです。
ズラリと。
まるでショーウィンドーに並ぶ商品のように。


「友だちならはりこめ」」と言いたいわけじゃありません。
そんなことが言いたいわけじゃないのです。


ああ。こういうとき、
受け取る側は、
望むと望まないとにかかわらず比較してしまい、
人間性への判断を下してしまうのだな、と思ったのです。



病気入院しかり、
披露宴しかり、
葬式しかり、でしょう。


大勢から、一斉に金品を受け取る場面に立つとき、
人は、その金品の多寡を比較し、
その多寡から何がしかを判断するのです。
また「行く」と言いながら来ない、なども
事細かに覚えていて、
誠実さと将来のつきあい方への判断を下すのです。


だから奮発せねば、
と言っているわけではありません。


そうではないけれど
どんな場合にも
「これぐらいでいいか」は隠したつもりでも明らかに伝わるので
自分にとって大事な人の場合には、
「このぐらいでいいか」
「また今度でいいか」
というケチ心の誘惑に負けない方がいい。
(↑わたしは、つねにこの「ケチ心」の誘惑に負け続けてきました)
うちの家系か→ 「ケチ心」の発現に思う…大人になるって難しいのね。


前回の記事にも書きましたが、


長い時間をかけて作り上げてきた冠婚葬祭の風習は、
「生き方のメリハリ」を浮き彫りにします。



装いしかり。
金額の多寡しかり。
態度しかり。


わたしは、夫の病と
それに続く親戚の披露宴で
そのあたりを痛感しました。


時として人は、
貧乏や多忙にあぐらをかきますが、
ここぞというときは、
シャキっと立ち上がって
駆けつけたり、奮発したりする人でありたい。
相手が、自分にとって大事な人なら、なおのこと。


だからこそ、「この人には何もしない」とか
「自分はこのケースでは何もしない」など
堂々とした無関心・不干渉・不参加を貫く姿勢も
身に着けたいと思うのです。
慣習に流されるだけじゃなく。


そういう、本当の意味で爽やかな生き方がしたいなー。




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コメント

確かに

経済状況やセンスや関係性、諸々が露呈してしまいますね、
お見舞いの他にお中元お歳暮なども。
実家にいる時、明らかにもらったものの使い回しの食品が届いたことがありました。
送り主は立派な大学を出ていた女性なのに。
この人のために財布を開くのはちょっと…と思うならいっそ何もしないほうがいいですね。


  • 2019/10/03 (Thu) 20:24
  • raffine #ZPokdGkI
  • URL
No title

さすがカリーナさん、思っていてもなかなか書けないことですよね。こういう時、私はグーグルで相場などを検索しますが、はずしたと思うこと多々です。やっぱりその人との関係性って人それぞれで、一律には言えないから。
クラウドファンディングの額にももろもろが出るかな?

  • 2019/10/04 (Fri) 01:23
  • Jane #-
  • URL
No title

 カリーナさん、ほんと お見舞いを受ける側は、色々見えてしまいますよね。

とっても忙しい人なのにまめに顔を見に来てくれる人とか、入院の連絡をしたら

次の日に直ぐ駆けつけてくれる人 そんな人になりたいなぁって 入院していた

パートナーと話ししていました。

 病院の直ぐそばに 住んでいた友人、、、来ませんでした。 

そんなもんなんやって、、、(悲しいけど)

お見舞いの品物も「あぁ、、、そうなんか、」って 思うのもありますが、

色々事情があるのねって 思って 心にしまいました。

残念ながら パートナーは、亡くなってしまったのですが、葬儀でも色々見えて

しまいます。 今日は、パートナーを偲ぶ会を 友人達がしてくれるのですが、

まだまだ、気持ちが立て直せていないのだけど、参加してこようと思います。
 
 そうそう、、、

パートナーのお葬式は、永ちゃんの白スーツとハットで彼らしく送りました。

もちろん BGMは、永ちゃんで(笑)

   

  • 2019/10/04 (Fri) 16:18
  • sato #-
  • URL
No title

私がお見舞いする側だとしたら、
相手が重篤がゆえに行きにくい…かもしれません。
家族の人は、そういう状態の身内を他人に見せたくないかもしらん…とか
忙しくしてるだろうから迷惑かな?とか
ついいろいろ考えてしまって、タイミングを逃してますます行きづらくなるという。。。
大学時代に仲良かった友人が、自身のお父さんが筋萎縮症になって
彼女はずっと長い間、看護をしていたんですけど
私は一回もお見舞いに行きませんでしたし、
お父さんが亡くなった時も、お葬式に行きませんでした。
あとになって彼女から、
「父親が難病で看護をしている可哀想な〇〇ちゃん」
という目で自分とつきあってくれなかったのが嬉しかったと言われましたけど
たんに、そういう友人とどう向かい合ったらいいか分らなかっただけなんですよね。

  • 2019/10/05 (Sat) 09:41
  • アメちゃん #-
  • URL
ケチとお金と真心

ケチと懐具合と真心のせめぎあいのように思えるから気になりますよね!わかる!
これらはしかし、実は連動してないと思う。
例えば、私。懐具合には余裕がかなりあります。でも自分のことにしかお金つかわないケチな性格です恥。しかし、一方で本当に大事な友達がこの世に一人だけいて、その人のお母さんの葬式には遠方でも新幹線乗ってお通夜から参加、親戚みたいに会場で働き、もらい泣きし、香典も張り切りました。
つまり、懐具合も性格も、実はあまり関係なくて、いざというときにどうするかは、言い訳無用の真心の表れなんだと思うんです。

  • 2019/10/05 (Sat) 09:49
  • まる #-
  • URL
カリーナさん、こんにちは♪

序盤でちょっと笑っちゃいました
さすがカリーナさん!
そして共感。

まさに、私もそれ感じましたよー

金額はもちろん、
金額が少なくてもタイミングと
品物のセレクトの印象

お知らせした時の反応
伝わってくる、気遣いとか愛情とか。

受け取る側になって、初めてわかること
ありますね。





  • 2019/10/05 (Sat) 22:35
  • asa #-
  • URL
No title

友人の息子さんはここ何年も鬱状態で(傍から見る分には普通の好青年に見えます)、卒業してからの進路も決められないまま高校を終えられました(アメリカなので六月に終わりました)。夏休み中にその息子さんはヨーロッパに一か月ほど旅に出ました。お母さんはその旅行を通して息子さんの元気が出ればいいと思っている、と希望を持って話していました。先日帰国した息子さんを見かけたら、幾分引き締まって日に焼けて逞しくなったようでした。でもお母さんは息子さんが旅に出ていたときほど希望に満ちた様子ではありませんでした。きっと旅に出たからと言って、息子さんが行きたい道を見つけたというわけではなかったのでしょう。やり終える前の、色々な可能性を夢見ていた時のほうが希望があったのかもしれない。でもだったらやらなければよかったというわけでもない、と思います。人生を良くするためのコスパを考えるといろいろなことが無駄に思えるけれど(私もよーく思います)、コスパで計れない、自分の好きなことをするのが人生とも言えるというか。なんてことをカリーナさんが以前書いてらしたように思います。記憶違いというか私がそう解釈しただけ?

  • 2019/10/11 (Fri) 05:40
  • Jane #-
  • URL

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