新聞各紙に掲載されたわたしの連載コラム「献身と保身のはざまで」。
故郷である長崎新聞では、今週火曜日が最終回でした。
姉ちゃんは、毎回、読んだ感想をLINEで送ってくれましたが、
一番、「わかる!」と面白がりつつ共感してくれたのは、
連載中盤に書いた滑稽なエピソードです。
それは、夫が回復リハビリ病院に入院中、
送迎バスのとても優しく丁寧な運転手さんに
「旦那さんは大丈夫ですよ。
奥さん、すごく一生懸命にやっているから!」と励まされ、
思いもしない褒め言葉に舞い上がったわたしが
「ありがとうございます!」とバスを降りてからも
しばらくは、その運転手さんの視線を意識し、
健気さを背中で表現しながら
楚々と歩いたというところです。
病院の自動ドアまで歩きながら
「ああー。いま、わたし、
なぜだか、楚々と歩いちゃってるぞーー」と自覚しました。
そして、ちょっと「これ、やばいぞ」と思ったのです。
看病や介護の初期、
その一生懸命を評価し、励ましてくれる周囲の言葉は
もちろん、とてもありがたいのだけど
「健気であること」「ひたむきであること」
「献身的であること」に拍車をかけるものでもあり、
自らもそれに向けてアクセルを踏みつづける動機にもなってしまいます。
わたしのようなお調子者は、
望外な褒め言葉に
これまでの混乱や悲しみが噴き出してまじりあい、
それらすべてが認められたような気分になって
劇的に気分が高揚し、
ちょっとしたヒロイン気分にもなり、
「健気な奥さんであろうと、
われ知らず、楚々とした振舞いをしてしまう」
ことだってあるのです。
しかし、
そんな周囲のまなざしも励ましや称賛の言葉も
日を追うごとに減っていき、
「だれにも関心を払われない長い時間」が必ずやってきます。
心のどこかで
そのことも知っていました。
だから、「やばい、やばい。
『健気』を演じるの、やめよう」と思ったのでした。
(続きは、コラムにも書きました)
配偶者が倒れた直後、
動揺や悲しみや奇跡を願う気持ちと同じく
自分のこころに湧き上がる
不安や心配、経済的算段といった
「打算」を抑圧せず、
大事にすくいあげよう。
それをすくいあげられるのは
自分自身以外にないのです。
福井県で起きた痛ましい多重介護殺人事件も
健気であり続けた「村一番のお嫁さん」が
引き起こしました。
健気であり続けるのは、だれにとっても不可能な曲芸です。
そして一見、冷酷な顔をもつ「打算」は
共倒れを防ぐ「理性的判断」の別名です。
自らを救おう。
私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、山形新聞で連載中と聞いています。新潟日報でも連載中です。
そのほかに現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報・神奈川・佐賀・宮崎日日・上毛・長崎新聞でも掲載(終了紙もあり)されています。
詳細や経緯はこちらの記事をご覧ください。←感想や意見もコメント欄にたくさん入っています。
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