犬は、ひとりで育てても可愛いけど
ふたりで育てるともっと可愛い。
というか、「可愛い」の共有によって
「可愛い」が増幅します。
そのかわり、ひとりと一匹でいると
ちょっと煮詰まる。
可愛くはあるのだけど
だれとも共有できないから
煮詰まります。犬も退屈そうだし。
「何か面白いことないかなあ」という波動が
こっちに伝わってきて
「あー。めんどくさー」ってことにもなる。
娘が赤ん坊のときもそうでした。
夫がいてくれたら一番いいけど
友だちや両親、姉でもOK。
自分以外に
赤ん坊に興味をもつ人が
もうひとりいてくれることのありがたさ!
ひとりだけのときと何が違うって
「笑い」があることが違う。
赤ん坊の一挙手一投足を面白がって
笑いあえる。
「すごいねえ」
「おかしいねえ」と
笑いあったり、
笑い飛ばせたり、
いろいろな「笑い」を生み出せる。
「ああ、子育てってこんなに楽しいのかあ!」
と思える。
一人だけだと決して感じられない、その感覚!
犬と人間の赤ちゃんを
いっしょにしちゃってあれだけど
まあ、似ているから
いっしょにしちゃうけども、
世話というか、
ケアというか、
面倒を見る、というか
そういう行為において
「笑い」があるかどうかは、
めちゃくちゃ大きいのです。
…ということを
以前からずーーーーっと思っていたのですが
へろへろ (ちくま文庫)
を読んでいたら、
こんな文章と出合いました。
ホームヘルパーとしてこの強烈なばあさまと付き合い始めたのだ。ところが、である。マンションの一室という閉ざされた空間で展開される「一対一の関係性」は早々に行き詰まりを見せ始めた。
要するに笑えないのである。笑いが生まれてこないのである。笑いの場面があっても一緒に笑える誰かがいないのである。
三人はもっとかしましくやりたかった。にぎやかさが欲しかった。
それーーーーーっ!
それが言いたかったーーー!
犬もそうなら、
赤ん坊もそうなら
強烈なばあさまも
そうなのです。
みんな、ちょっと
予想の難しい、
見方によっては珍妙な、
ときに手こずる行動や発言をするから、
だれかといっしょに
(責任をシェアできる人だとベスト)
笑いあえないとつらいのです。
笑いの場面があっても
一緒に笑える誰かがいない。
ということは、
ケア(育児や介護、看病など)という行為の
滑稽さやおかしみを根こそぎ奪い、
そのかわりに単調で
終わりのない苦役だけを残す。
孤立の苦しさは、
「笑い」を失うこと。
新コロナウィルスの自粛生活で
家の中はもちろん
あらゆる場所から
「第三者」が消えています。
逃れられない単調な繰り返しが続いて
追い詰められている人も多いのではないでしょうか。
あちこちに生まれる「密室」。
かしましく
笑いあって
にぎやかに。
口角泡を飛ばして
語り合い、
大声で笑う。
すばらしいことだなー。
心の安全弁でもある。
この本、面白いです。
月亭つまみさんという方もこの本について触れています。
ぜひ、お読みください。
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