先日、仕事で会った方が
「○○しなければならない」と悩む人に
「〇〇するに越したことはないけど」と
言い換えてあげると
すごく楽になった表情をする
と言っていて、
なるほどなあ、と思いました。
もし、わたしが、
何かを「やらねばならない」と
思っていて、
それが、できなくて
苦しんでいるとき、
たとえば、仕事でも勉強でも
家事でも…。
まあ、なんでもいいんですが、
「仕事に行くに越したことはないけど」
「家事をするに越したことはないけど」
と言われたら、
確かにちょっとラクになるなあと
思ったからです。
「~に越したことない」って言葉、やるな。
その後、ネットで調べたら、
この言い換えは、
アルバート・エリスという
臨床心理学者が提唱した
論理療法の手法のひとつだとわかりました。
友だちに相談されたときなんかも、
「ねばならない」という
重圧を除いてあげようと思うあまり、
「仕事なんか行かなくていいよ」
「学校なんて行かなくていいよ」
と極端なことを言ってしまいそうになりますが、
不合理な信念を否定形にしただけでは
合理的な信念とはならない。
例えば、
「私は全ての人に好かれなければならない」を
「私は全ての人に好かれなくてよい」と変えても、
長期的に自分の人生にとって損な信念を持つことになる。
エリスは短期的にも長期的にも
あまり損をしないで済む信念を
合理的としているのである。
と書いてありました。
出典はこちら。
なるほど。
確かにそうだな。
「そりゃ、好かれるに越したことはないけど…」
ぐらいがちょうどいいんだ。
「~に越したことはない」
という日本語には、
「とはいえ、できないわけだからさ」
「思いつめるのはよそうよ」
「無理しすぎるのもよくないから」
「理想は理想で置いておいて
次善の策があるんじゃない?」
などの意味が複合的に含まれていて
この俗世界に
まだ可能性があり、
「赦し」が満ちているように
思わせてくれるところがある。
少しずつ変わっていけばいいさ、
と勇気づけてもくれる。
そこが、いいな。
「~に越したことはないけど」は、
あらゆる動詞に接続可能なので
免罪符としても万能。
自分を否定しそうになったら
「そりゃ、元気に越したことはないけど」
「そりゃ、きれいにしとくに
越したことはないけど」
「そりゃ、食べ過ぎないに
越したことはないけど」
と乱発しようかな(笑)。
「乱発」しないに
越したことはないから、
「活用」ぐらいにしておくか。
身近な人が悩んでいるときにも
使ってみようと思います。
さりげない言葉の言い換えが、
ぱっと視野を広げてくれることがあるんだな。
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