「そんなことでもしなければ居たたまれないものがある」を伝える。


3月11日から一日が過ぎてしまいました。


東日本大震災が起こった日から、
3月に入ると
「あの日が来るぞ」と思い、
どんな気持ちで過ごすのか、
自分を試すような、
逃げたいような
それじゃダメだろと叱責するような
落ち着かない気持ちになります。


テレビ番組の
急に思い出したような
大量の特集を見ると
毎年、落ち着かない気持ちだけが
増幅されて居心地が悪いので
今年は、ポリタスTVの震災特集を見ていました。


このブログのほかに
わたしが、もうひとつやっている
ウェブマガジン「どうする?Over40」では、
昨日、小中学校の司書であり
福島県出身の月亭つまみさんが
【月刊★切実本屋】VOL.44 10年のなかで
こんなふうに書いています。



一方で、小学生はもとより、中学校の生徒にとっても「東日本大震災と原発事故」は歴史上の出来事に近い存在になっているようだ。仕事先でそれを思い知り、驚き、焦燥感も覚えたりするわけだが、考えてみれば当然かもしれない。だって記憶にないんだから。

自分にとっての太平洋戦争がそうであるように、その後に生まれれば、それが5年前だろうが1年前だろうが、もれなく過去だ。生まれていても、記憶になければ同じだろう。どんなに爪痕が残っていようが、苦しんでいる人や場所が現在進行形だろうが、心から憂いていようが、記憶にない、体験していないのだから本当のところなんてわからないという前提で考え感じるしかないという、ある種の玉砕感が常に在る。 




10年というのは、
そんな時間なんだ。
当事者にとっては、
被災の記憶は鮮やかで
やるべきこと、
復興していないことが
たくさんあるにもかかわらず
「忘れる」どころか
「知らない」世代が
次々に増産される。


「自分にとっての太平洋戦争が…」と
つまみさんが書いているのは
まさしくそのとおりで、
わたしが生まれたのは、
敗戦からたかだか16年後。
しかも長崎。
未曽有の悲劇の記憶が
まちのあちこちに
濃厚だったに違いないのに
リアルには知らず、
のほほんと暮らしました。


「忘れる」より
「知らない」が増す。



であるならば、
居心地が悪くても
身の置きどころがないように
感じても、
だれにも読まれなくても
とりあえず、
これまでどおり、
これからもブログに書こう。


被災地から遠く離れたところで
その悲劇を見聞きした
一人の人間として
大げさにいえば、
「語り継ぐ」。


月亭さんの文章の最後、


自分の行っている学校で、とってつけたような特集を組んで、ずっと寄り添っていますヅラを装う学校司書って、わざとらしくて薄っぺらいけれど、そんなことでもしなければ居たたまれないものがそこにあるんだ、と、若い世代の誰かの心に引っかかってくれないか。



そだね。
昨日は仕事の締め切りで
一日遅れてしまったけど
書いたよ。
来年も書く。



★ウェブマガジン「どうする?Over40」もやっています。月曜日はこちらも書いてます。「おいおい、20歳以上も離れているのか!」とちょくちょく驚く話。

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