妻が夫を看病・介護するとき、「肉体との間にできてしまった距離」をどう乗り越えるか。


夫が倒れた! 献身プレイが始まったという本は、
新聞連載「献身と保身のはざまで」が
元になっているのですが、
新聞にのみあり、
本にはない部分があります。


その「新聞にあって本にはない」部分、
わりと反響があったのですが
時系列にグイグイと進む本は
何よりまず疾走感を大事にしたかったので
省きました。


今回は、そこをちょっと紹介しますね。


夫が元気だったころ、熟睡する姿を見て「この人を介護できるかな?」とぼんやり考えたことがある。
老後を想像しながら、目の前の夫をしみじみ眺めたことがある人は私だけではないはずだ。

大事に思っていないわけではない。愛しいし、健やかでいてほしい。

だが、将来の「介護」を思うと気が滅入るのだ。なぜって夫婦は親子じゃないから。相手は、庇護欲をそそる赤ん坊でもなければ子猫や子犬でもない。親子ほど年の離れた夫婦もいるが、ほぼ対等な存在として向き合ってきた人が多いだろう。

夫婦は、ほかのどんな人間関係より濃厚な肉体的接触をもつが、それは「性的興奮」や「性的関心」に支えられたものだ。もちろん隣りあって眠ったり、触れあったりすることによって安らぎや癒しを得ることもあるだろう。しかし夫婦関係は、そんなに生易しいものではない。長年の暮らしのなかで指一本も触れることがなくなったり、存在そのものを疎ましく感じるようになっている人も多いはずだ。

妻が夫を看病・介護するとき、この「相手の肉体との間にできてしまった距離」をどう乗り越え、どう計りなおして再び縮め、新たな「夫の肉体との関係」を作るのかは極めて繊細かつ重要な問題だと思う。

寡聞にして知らないだけかもしれないが、この肉体との距離について語る女性は少ない。「夫に献身する妻でいてほしい」という周囲の期待と無言のプレッシャー、さらには自分自身の義務感や使命感、そして恥じらいがその存在を覆い隠しているのではないか。

でも、ほんとにそう?やさしくさすり続けるその手は、相手のカラダを親密に感じている?私は、病み衰えた夫の肉体を慈しめるのか。そこに抵抗はないか。昔からずっと不安だった。今もまだ不安だ。




最後のところ、
倒れた直後に書いたものだということが
わかりますね。


本のなかには、
直接的に、このような表現はありませんが、
この延長線上にある戸惑いや葛藤は
しっかりと随所に書きました。
まだ、読んでいない方はぜひ。


看病や介護をする人だけのための本ではありません。
もっと広い視野で書いています。ほんとですよー。







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コメント

No title

カリーナさん、こんにちは。

夫婦って、あくまでも他人の二人組なんですよね~。

わが家は、元々、会社の同僚(社内恋愛ではない)で、遊び仲間という感じだったのですが、今は、その当時の関係に戻ったような感じです。

まったくの赤の他人とのシェアハウスとは違うけど、それに近い感覚でいます。

親しいよその人と思うと、腹が立つ回数がぐっと減りました。

でも、平時はそれでいいのですが、夫が倒れたらどうなるのかな~とは、よく思います。

犬がヨタヨタしていた時は、本当にかわいそうというか、かわいいから、いくらでも構ってあげたかったですが、夫に対しては、そういう気持ちは起きないでしょうね~。

とはいえ、両親と過ごした時間よりも、夫と一緒にいる時間が長くなっているので、びっくりです。

久しぶりに会う人は、なぜか、私が離婚したと勘違いしている人が多くて、そんなに離婚しそうな夫婦に見えるのかな…と、苦笑いしています。

  • 2021/05/07 (Fri) 17:22
  • 都忘れ #-
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