「きれいな人でなく、きれいにしている人をめざす」
だと書きましたが、
じゃあ、
そもそも「きれいな人」だった時期があったのか?
さらに
「きれいな人」をめざせば、きれいな人になれるのか?
という疑問に答えなければならないでしょう。
ありません。(きっぱり)
んじゃ、どっちみち無理なんだから
書く意味ないじゃん。
とお思いになりました?
今の若い子をごらんなさい。
あのマスカラへの熱意。
あのつけまつげへの熱意。
まぶたに鷲を飼っているかのごとく
バッサバッサと重たげなまばたき!
みんな「きれいに」なりたいのです。
「あの人、きれいだね」と言われたいのです。
「きれいになる」ことの先には、
モテる
ちやほやされる
憧れられる
称賛される
注目される
評判になる
などなど気持ちのよいことが
わんさか待っていますからね(うっとり)。
年を食っているとはいえ
この私だって、
狭い仕事づきあいや、狭い近所づきあいや
狭い親戚づきあいや、狭いPTAづきあいで
「きれいだね」「素敵ね」「かっこいいね」「おしゃれだね」
なんて言われたい!
そんな風にあちこちで言われていることを
風のウワサかなんかで知りた?い!!
でもなあ。
海外で素敵な暮らしをなさっている
直子さんの軽妙なブログに
「写真がいやだ」という記事があって
そこに
最近写真を撮られるのが嫌い。だって現実をまざまざと見せつけられるのだもの。アラフィーになってお肌ピーーーーンッなんて有り得ないのはわかっているけれど、どんどん顔がぼやけた感じになってくる。特にひどいのが目ね。目の周り全体が重力と仲良ししてたるんできて、目が小さくなってきた。しかも二重のくぼみが大きくなって、ふっくら感がない。ああ、腫れぼったい目になりたいくらいだわ?。
という文章を発見。
わたしゃ、思わず膝を打ってしまいましたよ。
そうなんです!
写真といわず
鏡でもそう。ショーウィンドーでもそう。
現実をまざまざと見せつけられて
「きれい」への希望を失うという
小さな挫折感が重なり、
「なげやり」になってしまいそうなのです。
いかん、いかん。
なげやりだけはいかん。
というわけで、
鏡に映る私にどれだけ意気阻喪しようとも、
投げやりにならず、きれいにしておく。
そしたら、みーんなが
大して差のないバアちゃんになったとき
長年の地道な努力が実って
「あのおばあちゃん、ずっと
きれいにしているね」
という風のウワサが聞けるかもしれないじゃないですか。
先は長いが負けるな、わたし。
追記)直子さんのブログは、アラフィーのファッションやインテリア(ジャングル計画進行中)記事も充実しています。ホームページ「元祖・直子のこだわり」も必見!
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