歌が上手でも下手でも、
自分の好きな歌を堂々と楽しげに
あっけらかんと歌うのがいいですね。
心を気持ちよく開放している様子が
ほほえましくて、気持ちよい。
聞いている方も明るくなる。
反対に、
「最近の歌、知らないしなあ」
「上手じゃないしなあ」
「選曲のセンス、ださくないかなあ」
「最後までちゃんと歌えるかなあ」
なんて、
あれこれ気にして引っ込み思案になり、
友人の歌にも気もそぞろで、
ようやく意を決して歌ったかと思うと、
自分の歌だけ誰も聞いていないような気がして
「やっぱり下手なんだ」と
若干ひがみモードに入る・・・みたいなのは、
かっこ悪い(←私です)。
これって、
自分をよく見せたいという
半端な自意識がうざいんですね。
歌えばいいんです。
堂々と。
機嫌よく。
古い歌であれ、今の歌であれ。
「強く生きる言葉」でこうおっしゃってます。
みんなから歌がうまいと言われるヤツだって、
自分はうまいけど、
やはりあの人には劣っていると思っているものだ。
そういう人の前で、平気で下手に、明るく歌を歌ってやれば
きっとうらやましがられる。
ひとつ、いい提案をしようか。
音痴同士の会を作って、そこで、
ふんぞりかえって歌うんだよ。
それも、音痴同士がいたわりあって集うんじゃだめ。
得意になってさ。しまいには音痴でないものが、
頭を下げて音痴同好会に入れてくれっていってくるくらい
堂々と歌い上げるんだ。
うん!そうする!
これからは、ふんぞり返って
堂々と明るく、得意になって歌っちゃう。
笑われても自分の歌を歌うんだ。
岡本さんの言葉ばかり引用して恐縮ですが、
恋愛についてのつぶやきを
もう一つだけ紹介させてください。
題して「美人」。
どんなにすごい美人でも
無視されてもいいから、彼女のそばで
気持ちを開けばいいんだ。愛情を素直に示すんだ。
その結果、彼女から答えが得られようが得られなかろうが
お返しを期待せず自分の心をひらくことで、
自分自身が救われるはずだ。
あの人は美しいとか、美しくないとか決めてしまうことが
イヤしいことなんだ。
相手が
どんなにお金持ちでも
どんなに成功した人でも
どんなに若々しく美しくても
どんなにまぶしくても、
その人の前で自分の心をひらくことで
自分自身が救われる。
ほんとにそうだなあ。
半端な自意識は、
持つ必要のない劣等感を
心の中に温存するだけだもんね。
自分で自分を不自由にするのは、そろそろやめたい。
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