と思う場所に実際に立ってみたとき、
まあ、それなりに懐かしくはあるものの
あまりの懐かしさにボーダの涙を流すというほどではなく、
「あ、あれ?こんな感じ?」と
ビミョーな感慨で終わることがありませんか。
かつて通った小・中学校とか喫茶店とか路地とか。
なんか、そういう「なつかしスポット」。
美化した過去(だけ)が走馬灯のように脳裏を駆け巡るとき、
必ずといって登場する「わが思い出の主舞台」のはずなのに、
そこに今、まさしく今、
こうして立っているというのに、
予想に反して平常心な自分。
あ、あれ?
みたいな。
な、なんだ?この他人行儀な自分と場所の関係?
みたいな。
先日、夫といっしょに
学生時代をともに過ごした京都の
中でも「超濃厚!なつかしエリア」を歩く機会がありましたが、
「ああ、懐かしきわが青春の舞台かな」という胸の高鳴りは、
やや無理して呼び起こして、ようやく感じるか感じないか、という程度でした。
(そこまでして懐かしがる必要もないんですけどね)
街が変わっていることもありますが、
自分の視点も変わっているんですね。
「あれ?こんなところにこんな神社あったんだ」とか
「このごろの京都、ハナミズキが増えてるよね」とか
「やっぱり、コデマリはいいね」とか
「ああ、鴨川に床が出ている」とか。
年寄りくさい方面ばかり見てましたからね、今回は。
それに比べて昔は、あなた。
学校からバイト先へビュン。
バイト先から彼氏んちへビュン。
下宿から居酒屋へビュン。
というその「ビュン」の部分に
あらゆる期待や高揚や焦りや性欲がはちきれんばかりに詰まっていて
その詰まった内容物を発散&放出させんがために
息せききって目的地まで駆けつける上に、
その移動中だって同世代男女しか目に入らず、
自分自身が気取って歩くことに専心努力していましたから、
花や木なんかチラ見すらしませんでしたよ。
つまり、あれですね。
懐かしい、懐かしいと言ってますが、
それって場所そのものが懐かしいというより、
そこで過ごした自分の「心の状態」が懐かしんですね。
昔の恋人本人が懐かしいというより、
恋愛していたときの二人の「心の高揚」が
懐かしいのと同じか。
いやあ、いくつになっても
新しい今を生きるしかないんだな。
と思った古都の街歩き、
なかなかよかったです。
【余談】
それにしても年をとるにつれ
植物に関心が向かう傾向がありますが、
これって「今は動物と植物だけど、いつかはともに土に還る私たち」という
加齢にともなう「仲間意識」の拡大化現象でしょうか。
ここんとこ野鳥なんかにも関心が増しているんですが、
これも「今は空と地面とに別れて暮らしているけれど、いつかは同じ場所に眠るのね」的な
共感の表れですかね。
・・・なんて尋ねられても困ると思うのでスルーしてください(笑)
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山ほどあるよ?。年をとる楽しさ!
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