中高年女性の悲哀に心奪われ、
危うく降りそこねそうになった私。
「すみませ?ん(>_<)。降りま?す(>_<)」と
運転手さんに声を飛ばし、
「あ、すみません(>_<)」
「あ、ごめんなさい(>_<)」と、
つり革にぶら下がる「頭頂部の寂しい人々」や
「頭頂部のまだ寂しくない人々」の間を恐縮しながら、
かいくぐり、かいくぐり、なんとか地面に降り立ったのです。
顔は、(>_<)のまま。
お?、いけない、いけない。
顔が(>_<)だ。
と気づいて修正したのですが、
(>_<)の部分をコトバにするなら、
実は私、ここだけの話ですが、
「待って?。ごめんね?。許して?」的なニュアンスを表現したいとき、
齢47にしてなお、「ぶりっ子的表現」が飛び出すことがあるのです。
昔とった杵柄といいましょうか。
ティーンの魂、オバアまでといいましょうか。
若かりしころ、
ルックス的なハンディを「ぶりっ子」によってなんとかカバーし、
だまされやすいお馬鹿な男子を一人でも多く振り向かせようとした
汗と涙の結晶とでもいいましょうか。
私のぶりっ子3大要素は、
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?萩本欽一氏の走り方に似たところのある小走り
?「エヘっ!ドジでごめんね」的ニュアンスを含んだ笑顔
?いつもよりワントーン高めの声
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なのですが、これらが切羽詰ったときに出る。
いやあ、もう年も年ですから、
できるだけ凛とした、物事に動じない、
落ち着いた人物像を造形すべく努力しているんですよ。
しかし、「バスを降り損ねるかもしれない!」という切羽詰った瞬間などに
わずかな隙をついて出るんだなあ、これが。
そして、そのことに気づいてバツが悪くなる。
そんなオバサンいるでしょ。
あれです。あれです。
ま、決してカッコいいものではありません。
でも、私たちの心のなかって
「ぶりっ子していた少女」の部分を残していませんか。
「いいえ、私は、かつて一度もぶりっ子したことがありません」という
山口百恵さん的キャラの人にも、少女の部分が残っているんじゃなかろうか。
違う?
だからさ。
だれか、甘えさせてくれないかな。
もう、いやっちゅうほど優しく髪をなでてくれないかねえ。
それもイヤイヤでなくさあ。本気で愛おしい感じで。
チェジウに北極星を指し示すヨン様みたいにさ。
もう、いくらでも(>_<)するね、わたしゃ。
年甲斐もなく。