40代、天下分け目の問題とは?

今日は中学校の体育祭だったのですが、
そこで、こんな会話を耳にしました。

「いつもどこで分かれる?」
「うん、だいたいここかな」
「別のとこに変えられる?」
「いや、自然に戻ってくる」
「(激しく同意して)そうやろう!私も、必ず、ここに戻ってくる。いややわあ。」
「いややね、なんかいろいろと遊ばれへんしね」

男女の腐れ縁についての話題のようですが、

違います。

彼女たちが子どもの競技そっちのけで
激しく共感しあっていたこと。

それは、

髪の毛が、同じところからしか分けられない。

という問題です。
私は、子どもの「4人3脚」競争に目をやりながら
どこのどなたか存じ上げない同世代のお母様方の率直な告白に、
心中、激しく同意しましたよ。

みなさんは、いかがでしょうか。

髪の分け目、自由自在ですか?臨機応変ですか?

私ですか?私は、(あんまり言いたくないけど)左サイドにほぼ固定されています。

昨今、分け目がくっきりはっきりと目立つのは
オシャレじゃないようなので
できるだけ目立たないように、こう、
クシの尻尾のとがったほうで、ジグザグに髪の毛をとったりするのですが

戻る。

反対側にしてみても、
髪の毛が根元から浮き上がって落ち着かないなあと思っているうちに

戻る。


髪8


もう、どこまでも形状記憶。

長年、変化なく続けてきたことによる「固定化」ですな。

私が意図的につかんだカタチというより
時間の積み重ねによってできたカタチ。

スケールこそ違いますが、
秋芳洞の百枚皿
東尋坊のハチノス岩
大歩危・小歩危の渓谷と成り立ちは同じといえます。

時の力たるや恐るべし。

3億年の月日が鍾乳洞の奇観をつくるように
47年の月日は髪の強固な分け目をつくったのです。

ここから話がぐっと哲学的になりますが(本当かな?)
40代後半ともなれば、
この肉体の全領域に積み重なった「時間が創りあげたもの」
を自覚しなくちゃいけないのかもしれませんな。

どんなクセがついているのか。
どんな雰囲気が身についているのか。
どんな姿勢が習慣化しているのか。

ほら、水商売の最前線で戦いぬいてきた年配の女性のなかに
着物が戦闘服のようにりりしく、
かっこよく見える人がいるでしょう。
あれも「時間の積み重ね」が創りあげたカタチですよね。

一朝一夕では決して出せない
粋な雰囲気、佇まい。そして押しの強さ。

長年、好むと好まざるに関わらず従事してきたことが
その人独自のカタチを創りあげる。

それは、ファッションとかオシャレといった
意図的な「狙い」を超える気がします。


う?ん、私は髪の毛の分け目以外に、
どんなカタチを身につけているのかなあ。

大丈夫か、私。

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追記

分け目を変えるには、やはり乾かすときがポイントのようですな。


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