いきなりわたしたち夫婦の話で恐縮ですが、
わたしたちは、学生時代に知りあって
結婚するまでも、いっしょに生活していたので、
「当時からずっとうちにあるモノ」とか
「いつの間にか、うちにあるモノ」とか
「友だちが引っ越すときにくれたモノ」とか
「友だちが置いていって取りに来ないモノ」とか、
「大型ゴミから拾ってきたモノ」なんかが
今も、家具や小物に混じっているんですね。
どれも、パッとしないし、
あちこちからやってきたせいもあって見事にバラバラ。
今はもうありませんが、「花柄のゴミ箱」という、
ほら、炊飯器やポットなど調理家電という調理家電に
花柄がほどこされていた、
あの夢多き時代を思い起こさせるものもありました。
それから、そういったモノだけでなく、
「間に合わせに買ったモノ」とか
「あまり考えずに買ったモノ」とか
「お金がなくてそれしか買えなかったモノ」とか
「当時はそれがいいと思って買ったモノ」なんかもありますからね。
事態は、さらに複雑ですよ。
生態系に多様性は不可欠らしいが、
家具調度系の過度な多様性はいかがなものか。
ほら。
よく美術系の学校などを卒業した方で、
その後、絵画とかイラストとか陶芸とかギャラリーとか
そういったお仕事についている方なんかに、
わたしは、物心ついてから一貫して、
納得したものしか買っていません!
というような、繊細さのなかに
「こだわり」という鉄の意思を秘めているに違いない風貌の方がいらっしゃいますね。
雑誌なんかでお見受けしますが、すごいな?。
わたしなんて、そもそも、自分がなにに納得するのか、
ちーっともわからないままに生きてきましたからね。
「納得」と「非納得」の境界なんて
ババロアとパンナコッタの違いくらい曖昧ですよ。
しかーし。
さすがのわたしも、学んだことがあるんです。
それは、
過渡期を楽しめ。
ということ。
というのもね。
●雑多なものを一掃したい。
●すべてを新しくしたい
●一からやり直したい
というトランプゲームの「総換え」みたいな行為は、
これまであまり、うまくいかなかったからです。
人生においても、住まいにおいても。
いま、ここで、ひとつずつ、変えていく。
そのことによって、少しずつ、少しずつ変わっていく様子を
焦らず、じっくりじっくりと楽しむ。
もう、これしかないんじゃないの?
そうやって納得を積み重ねた住空間に対する納得は、
いっぺんに手に入れた納得空間より、
納得に対する愛しさが数倍、大きいんじゃなかろうか。
どうやら、これからの時代。
「右肩上がり」は言うにおよばず、
「現状維持」だってなかなかどうして難しそうですよ。
いくつになっても安定なし。
人生、これ過渡期。
(ともいえるかもね)
楽しみましょうか。
雑多から納得への過渡期を。
そして、そんな過渡期を愛する人たちを
「トラキチ」にならって「かときち」と呼ぶなんて、どう?
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