ファッションに夢中だ。
露出の多い服を好んで着て、
「年相応」か否かなんてお構いなし。
背伸びしてこそオシャレ、の気概にあふれている。
「こんな女性として見られたい」
「こんな彼氏が欲しい」
「未来」を着ているんだなあ。
と、鏡の前であれこれ、
私から見ればどうでもいいアレンジに余念のない
思春期の娘を見てそう思う。
この年頃の女たちは、
ほぼ例外なく安物を着ていて、
鼻の下の産毛が濃かったりして、本人の狙いとはほど遠く垢抜けないが、
互いに身をぶつけあい、ささいなことにゲラゲラ笑いころげる姿は、
ムッとする肉弾戦の迫力と勢いがあって、
息苦しくとってもまぶしい。
垢抜けない、というのも
彼女たちがまだ実現しない「未来」を着ている証拠だ。
自分を振り返ると、
思春期以降、少しずつ「現在」を身につけ始めたように思う。
流行のターゲットが私自身という時期。
流行との蜜月!
楽しかったな。
ずっと若者でいられると思ってた。
それから「大人」という言葉が用いられる30代になり、
流行を適度に取り入れながら、
TPOをわきまえた装いにアレンジする気遣いが求められるようになった。
仕事と私。
結婚と私。
出産と私。
女であることと、
女であることとは関係のない人生の諸問題に悩みながら
心はゴチャゴチャのまま「現役」を突っ走っていたころ。
デザイン的にも価格的にも、
自分の「現在」を着ていた、と思う。
そして47歳。どうだろうな。
ちゃんと「現在」を着られているかな。
みなさんはどうですか?
現在を着ていますか?
未来を着ていますか?
私ね、最近は減ったけれど、
何度か失敗して後悔したことがあります。
あのころの私。
あのころ、似合うといわれた私。
ちょっとはモテた私。
今よりずっと輝いていた私。
当時の私を取り戻すべく、
過去ベクトルで服を選んでしまう。
アンチエイジングという言葉は魅力的だけど、
そのベクトルが「過去」を向いちゃうことには
警戒レベルを上げるべし。
自信をもって「現在」を着るか。
夢を持ち続けて「未来」を着るか。
流行の服は、まぶしく輝いているけれど、
その多くが「若者」という
私たちにとっての「過去」をターゲットとしていることは
忘れないほうがよいと思う。
この私の「生き生きとした現在」という美しさは、
どんなに難しくても、
この私が創るしかない。
40代以降のおもしろさも、そこにあると思う。
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