「その歌がいかにすばらしいか、どんなにカッコいいか、
野田洋次郎氏(ボーカル&ギター)の詩が
いかに独創的かを延々と聞かせ続ける」の刑に
毎夕、わたしを処すのであります。
RADWIMPSは実際、すばらしいんでしょうけども、
ほんとのこと言うと、そんなことより
・今年はこの収入でやっていけるのか、
・夫の仕事はほんとに大丈夫なのか、
・こんなことで娘に十分な教育ができるのか、
・自分の仕事は今後どう展開するのか
などのほうが、野田さんが歌うメッセージより火急の問題だし、
火急ついでに言うなら
晩ご飯の豚の生姜焼きの豚肉を
生姜とみりんとしょうゆと酒を合わせたものに漬けなくちゃいけないし、
ポテトサラダのじゃがいもをゆでなくてはならないし、
いい加減に洗濯モノをしまわなくてはならないし、
犬を散歩につれださなければならないし・・・
と、こっちはもう、規模こそ僅少で世帯じみてはいるけれども、
火急事案には事欠かないので、
いいよ。RADWIMPSの話は。
それより、ほら、洗濯モノ。
なんてそっけない言葉で話の腰を折るか、
寛容な母としてグッとこらえて相槌&生返事を続けるか、
どちらかの対策でなんとかしのぐ日々を過ごしています。
ただ、ときどきなんですけどね。
そんな歌詞、過去にもあったし
とか
世界の悲しみを背負える気になるのって、
ま、20代の特徴だよね(フッ)
とか批評めいたことを言いたくなるんですよね。
いけません、いけません。
思春期世代が反発する言い方だから、という
教育的な観点からの反省もありますが、それより、
RADWIMPSのこと、「ろくに知りもしないで言う」ことがいけません。
ニュースや新聞でなんとなく見聞きしていることだけで
「近ごろの若者は・・・」と批判するのと
あんまり変わんないもんね。
年をとった自分がすでに経験したり見聞してきた(つもりの)ことを、
たった今、経験している年下世代に対して
「すでにあったこと・よくあること」として
その感動や感傷や悩みや発見や悩みなどを
簡単に片付けたり、対処容易なこととして扱うのは
やっぱり、よくないなあと思うのです。
そんなことわかっていたはずなのに、
年をとるにしたがい、現年齢に自らの立ち位置を固定して
そこから物事を論じたり、斬ったりしたくなりませんか。
(わたしが年をとった証拠か)
というわけでわたくし。
今後も、RADWIMPSより洗濯モノを重視する姿勢に変わりはないとは思いますが、
しかし!
10代、20代、30代、40代の自分を
できるだけ再現可能な状態にしておいて、
時に応じて、それぞれの年代の感受性を
呼び起こすよう努力し、
年下世代の体験や心を受けとめたいと思います。
それがあってこそ
年長者の助言は若い人の心に響くんじゃないかなあと思うんですが、どうだろう?
今晩にでもさっそく、10代のわたしに聞いてみますか。
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こう乗り切る!若い子との会話。
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