演劇活動にまい進していたのですが、
そのころのわたしは、当時のわたしが自覚していた以上に
「見られること」とか「見せること」が好きな
自己顕示欲モリモリの人間だったようで、
穴があったら入りたいミーアキャットといっしょに
閉じ込めておきたいくらいです。
どーも、当時は、
他人が見ていないところに力入れて、どうすんの?
みたいな感覚で生きていたように思うんです。
たとえばですね。
日ごろ散らかっている部屋を
重い腰を上げてがんばって片づけ、
いつになくキレイになった空間を
疲労困憊しながらもほれぼれと満足感たっぷりに見渡しながら、
ああ、早く、だれかに来てほしい。
今、この瞬間に来てほしい!
そして、きれい好きでセンスのいいわたしをほめちぎってほしい!!
それがもし男子なら、わたしにベタボレしてほしい?!
なんて思っていましたから。
しかし。
皆さん、すでにご存知かと思いますが、
会いたくない服装のときに限って会いたくない人に会うように
来てほしいときに来てほしい友の訪問はまったくなく、
「今日は部屋が荒れているけど、ま、だれも来ないしいいや?」というときに限って
「ちょっと、トイレ貸してくれる?」なんて
意表をつく申し出をあっけらかんと口にされ、
こちらが激しく狼狽している間に、
「ちょ、ちょっとごめんね?」なんて弾んだ調子で言いながら、
どこも見ない振りしてしっかり荒地を観察しつつ、
部屋の中に入られちゃうんですよね(ガックリ)。
ことほどかようにですね。
わたしの49年間の人生は、この
「他人が見ていないことに力入れてどうする?」
という心の声との格闘の歴史だったように思います。
いや、ほんとに。
ちっともオーバーじゃなく。
いったい、この努力を、だれが、評価してくれるのか。
この行為を、だれが見て、ほめてくれるのか。
だーれも、なーんも、見ていないことに力いれてどうなんの?
という心のささやきとの格闘です。
根がズボラなのでね。
いや、もちろん、だれかに見られるためにがんばることは
ちっとも悪いことじゃないと思いますが、
いかんせん、この「がんばり」の最大の問題は、
「持久力と安定性に欠ける」という点にあります。
わりに、すぐに、どーでも、よくなっちゃうんですよね。
わたしも、薄々ではありましたが、
自分の人生がなんとな?く、もうひと?つ充実しないのは、
この「見せてなんぼ思考」「評価されてなんぼ思考」に原因があるんじゃないか、
と感じていました。
そこで30代半ばに達したころ、
遅まきながらですが変革に乗りだすことにしたんです。
名づけて
「わたしゃ、この人生に観客を求めないわよ革命」
さらに進めて
「そもそも人生に観客はいないぞ革命」
あれえ。
こう書くと、しごく当たり前のことに見えるなあ。
大転換だったのになあ(笑)
ま、いいや。そういう感じのものです。
この革命の遂行はすぐには効果を表さず、
たゆまぬ試行錯誤を必要としますが、
じわじわと功を奏するようです。
最近はこれといった努力もせずに、
さまざまなことが荒地になることなく、
気持ちよく暮らせているように思います。
そうそう。
前記事には本当にたくさんの
面白く、楽しく、刺激的なコメントの数々、ありがとうございます!
大変に勉強になりました。
東アジアなかでも日韓の高齢女性の「ジイサン化」問題については、
今後も私なりに観察・研究・考察を続けたいと思います(笑)!
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