かつて演劇にのめりこんでいたときも、
阪神大震災やサリン事件や
近しい演劇人のエイズによる死などで
「ああ、わたし、演劇でいったいなにができるんだよぉ!」
「なにやってもダメじゃん。空々しいじゃん」と
動揺に動揺を重ねて、とっーてもみっともなかったのですが、
そんなヤワな性格は、
年をとってもちっとも変わっていませんでした(-.-)
今も、まったく同じように
というか、もっーっと重症化して、
ああ、わたし、ブログで何を書くのか。
なに書いても、どうでもよく感じるよ、状態。
こんなこというと
「あんたなんかが何言ってるのよ!」と叱られそうだけども、
わたしも、ごくごくわずかではあるものの、
心に「がれきのまち」を抱えたんだ
と考えています。
心のなかの「がれきのまち」が
わたしの行動という行動を
「がれきのまち」から見つめて
「がれきのまち」から審判している。
そんな感じがしてたまらんです。
フツーにしていられる人はフツーにしておこう。
というコトバはおそらく正しいんでしょうけれど、
なんせ、心のなかに
すべてを破壊しつくす暴力的な自然の本性と
日本列島という場所が私たちに強いる不安定性と
どう考えても受け入れられない「がれきのまち」を抱えてしまったものだから、
どーにも、こーにも、思うようにうまくいきません。
もちろん、わたしだって
必ずや、再び、わたしたちの前に広がる世界が
幸せな笑顔に満ちることを信じて疑っていませんが、
自分を含めたあらゆる「古いもの」よりも、
未熟でも、青くても、「新しいもの」が求められる世界が
そこには広がっていなければならないのだろうと
これといった根拠はないのですが思っています。
新しい私になれるか。
ぼんやりと、
そんなことをずっと考え、
自問しながら
不安とともにグータラしています(-.-)
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震災がもたらす「我がグータラ」に喝!
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