前回の記事、「『写真の自分』に打ちのめされない方法。」では、
「10歳上になった気分で自分の写真を見る」という
おバカな方法を提案しましたが、
実は昨日、仕事先で、大きな発見をしました。
それがまた、
奇遇にも前記事の続編的発見で、
これはぜひともみなさまに報告せねば!と思った次第。
では、まいりますよー。
(大した発見じゃなくても怒らないでねー)
というわけで昨日、わたしはクライアントの女性(40代後半)と
お昼ごはんを一緒に食べたんですが、
「この週末、どんなことをしていたか」
というような話題になったんですね。
実は大阪は今、大阪駅近辺が
百貨店やファッションビルのオープンで
大いに盛り上がっていて、
彼女も、そこへ買い物に出かけたそうです。
「でもね・・・鏡に映る自分にがっかりですよ。
以前似合っていた服も似合わないしねぇ」
と、わたしが、このブログで
百年一日のごとく、懲りもせず、進歩もなく
年がら年中、ぼやき続けているようなことを
ため息まじりにおっしゃるではありませんか!?
「○○さんみたいなオシャレな方でも思うんですか?!」
大げさにならない程度に驚いたのち、
ほどよく相槌をうって
中高年女性の悲哀方面の話題で盛り上がったのですが
いや。ほんとに。お世辞でもなんでもなく、
わたしから見ると十分に
オシャレでキレイな方なんです。
なぜ、そう思うのか。
わたしは彼女の若いころを知らないからです。
そうなんです。
わたしは「最近の彼女」しか知らないし、
彼女といえば「40代の彼女」であり、
その彼女は40代後半の女性としては
十分に「おしゃれで美しい」のです。
わたしにとって「若いころの彼女がどうだったか」など
どうでもいいことなんです。
この週末。
伊勢丹の婦人服売り場の大きな鏡に映った「彼女の現在」を
一番、厳しくチェックして
一番、ガッカリしたのは、
「昔の彼女」を知っている「彼女自身」だったと思います。
だってその日、百貨店で接客したスタッフも
同じくショッピングを楽しんでいるであろうお客さんも、
道ゆく男性も女性も、老いも若きも、
「今、この瞬間の彼女」しか知らないんだから。
若いころと比較してあれこれ言う人なんて、
家族や幼なじみ、同窓生、かつての同僚ぐらい。
ほんとに少数です。
(無視しちゃってもいいくらい少数ですよ、地球上の人口から考えると!)
そういえば、わたしが街で見かけた女性を
「あ、あの人、素敵」と思うとき、
その人の「若いころ」のことなど想像もしないし、
これっぽっちも比較してないもんなあ。(そもそもできないしね)
現在の、その年齢の、その人として素敵だな・・・と思い、
あこがれたり、感心したりしているんですよね。
鏡に映る自分を一番、厳しく見ているのは、
若いころの記憶を持つ自分自身。
あたりまえのことですが、
これは、ちょっとした発見でしたー。
鏡の自分も、写真の自分も、
そんなに悪くないのかもしれませんよー。
若いころと比較しすぎなければね(気休め? 笑)
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