めったにないけど哲学モノとか、
そういった系統だって書かれた力作を読んだりすると、
つい、
このまま読み流してしまってよいのか?
という不安がよぎることがありませんか。
学生時代にそれなりに通過してきた、
受験勉強の後遺症でしょうかね。
マンガや雑誌やミステリー小説なんかだと
こういう症状が起きることはあんまりないので、
歴史モノ、哲学モノ、伝記モノ、自然科学モノなどの本の醸し出すムードが、
なんとはなしに中学校や高校のときの
「教科書」に似ているせいかもしれません。
いつものようにクッションを枕にゴロンと寝転がって、
片方の膝にもう片方の膝をのっけて
膝から下をぶらぶらさせながら読んでいると、
むむ。これは、机に向かって読むべきじゃなかろうか。
当然、スタンドの電気もつけるべきじゃなかろうか。
背筋は伸ばしておくべきじゃなかろうか。
ノートに書き写したほうがいいんじゃなかろうか。
ラインマーカーも用意しておくべきじゃなかろうか。
重要単語はカードに書いて暗記じゃなかろうか。
威儀を正せば、こうなる↓

「遊び」が「勉強」になっちゃう瞬間ですね。
おまけに、最近のわたしは、
「永遠の都ローマ物語―地図を旅する」という
シャイエさんという男性が5000時間かけて古代ローマをイラスト化し、
それを奥さんが3000時間かけて彩色したという
夫唱婦随渾身の超大作であるにもかかわらず、
ほぼフルカラーで2800円(税別)!というファン垂涎本を片手に
塩野七生さんの「ローマ人の物語」なんかを照らし合わせて読むのに、
もんのすごくはまっているんですが(長くてごめん)
サンピエトロ寺院のオベリスクは
カリグラ帝がエジプトから運ばせた
なんて一文を見ると、もー、
書いておかねば!覚えておかねば!
という切羽詰まった気分になるんです。
でもなあ。ノート引っ張り出すの面倒だしなあ。
そんなことやりだすと決まって続かないしなあ。
「そもそもさあ、なんで覚えておかなくちゃいけないんだろ?」
改めて自分に問うてみました。
そしたら、わかったんです。
うんちくを披露するために覚えておきたいのでした。
この読書によって得たもろもろの知識を脳に焼き付けておいて、
効果的に第三者に披歴し、
知識の有効活用を図りたいのでした。
そうですねえ。たとえば、
(1)誰かとイタリアに行き、
(2)ヴァチカンに行き、
(3)サンピエトロ寺院に行き
(4)「ほら、あれは、悪名高い皇帝カリグラがエジプトから持ってきたのよ」
と説明してあげたいわけです。
(いつ!? だれに!)
うん?この欲望、覚えがあるぞ。と思ったら、
捨てられない山ほどのモノを前に
「ああ、今度、こんな機会があったら使おう!」と
千に一つもないチャンスを想定して
押入れに再びしまい直す気持ちに似ていました。
というわけで、
そうか。自慢したいだけか。
じゃあ、勉強やめー。
ノート、必要なしー。
暗記やめー。
ごろ寝で読むべーし。
忘れてよーし!
という明快かつさわやかな結論にいたりました(笑)
遊びは遊びのまま、
どこまでも気楽に、ながく愉しみます。
これもひとつの断捨離。
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40代以降、マジメが身を滅ぼす!?
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長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ?

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