こんにちは!Carinaです。
ちょっと間があいてしまい申し訳ない。
昨日、家で仕事をしていたら
マンションの自治会の役員さんが
集金に来てくださいました。
ドアを開けたら、
ちっちゃくてかわいい女の子がひょっこり顔を出し、
その後ろに30代半ばのお母さん。
「うわあ、大変ですね。お疲れ様です」
に始まって、
「かわいいですね~。いくつ?」
なんて会話をしていたら、
「今回のバス旅行は保険をかけることになったんです。
お一人おひとりの年齢を聞かないといけなくて・・・」
と言いながら役員さん、メモの構えです。
そうなんです。
うちのマンション、自治会で秋の行楽にでかけるんですね。
それはとっても庶民的なイベントで楽しいんですが、
夫の年齢(52歳)と自分の年齢(49歳)を答える瞬間、
なんだか、ちょっとだけ言いたくないような、
もう少し若かったらよかったのになあ、と
思うようなビミョーな気持ちになりました。
これって、なんなんでしょうね。
あとになって、
そのときの自分の気持ちをちょっとばかり分析してみたら、
もっと若く見られたいとか、
年齢を偽りたいというのではなくて、
(まあ、それもあるかもしれないけど)
ああ、この人にとってわたしは、
さして興味をもてないオバサンってことになっちゃうな。
とか、
もっとフランクに、
友だちなんかにもなったりしたいのにな。
など、自分より若い人を前にしたとき独特の
何か、そういう思いが隠れているように思いました。
年齢によって自分が隔離されたくない気持ち、
といえばいいでしょうか。(大げさだけどね)
ま、これは自分自身が
若いころに年上の人をそんなふうに見ていたことの
反映でしかないので、
まずは、自分自身の狭い了見を正さなくちゃいけませんね。
これまで自分が
他人をどんなふうに見て、
なにをもって評価していたのか。
そのことが、年とともに自分自身に返ってきて
自分自身を縛ることになるんだなあ。
情けは人のためならず。(ちょっと違うか 笑)
でも、そういうこと。
自分が自由になるには、
他人を見る自分の視線も
自由にしないといけませんな。
【関連記事】あー、こんな記事も書いてました。これもまた真実なんですよねー。
他人は、私の「若い頃」なんてどーでもいいという事実。
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長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ?

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