お世話になった方に
京都のちりめん山椒をようやく送ることができたので、
その勢いで「贈り物」のことを書いてみようと思いまーす!
とはいいますものの、何を隠そう、
この、わたくし、この世に生を受けてジャスト半世紀。
もし贈り物がアーチェリーだとするならば、
わたしの放った矢の大半は的を大きくはずし、
黒や白のところに突き刺さるならまだしも、
ヒョロヒョロと地面に落ちる・・・
というような振るわない贈り物戦績を重ねてきました。

↑
これが、アーチェリーのターゲット。
黄色や赤を打ち抜いて
ハートをわしづかみにしたいもんです。
なかでも、姉とわたしの
誕生日プレゼントや
旅行のお土産は、
お互いに、ことごとくはずしまくっていますよ。
ふたりのアーチェリーの的のまわりの地面には、
何十年にもおよぶ、
的をはずしてヒョロヒョロと落ちた「矢」が
うず高く積もっているに違いありません。
なぜ、このようなことが起きるのか。
そもそも、わたしも姉も
お互いの「ど真ん中」がわかっていないんですね。
なんとなく「自分とは好みが違う」ことだけはわかっているもんだから、
自分が好きでない、
相手が好きかもしれないモノの中から選ぶ
ってことになっちまって
結局のところ、
どちらもあまり好きじゃないモノを贈っちまうことになる。
じゃあ、「ど真ん中を探せばいいじゃないか」ってことになりそうですが
服にしろ、
アクセサリーにろ、
食べ物にしろ、
本にしろ、
自分の好みじゃないもののなかに
相手のど真ん中があっても、
それが、どこにあるのか
なかなかわからない。
そんなことないですか?
さらに、追い打ちをかけるのが、
相手のど真ん中を探ることにあまり興味がない。
というわけで、
毎度毎度、もらってうれしいような
ちょっと残念なような
ちょっと惜しいようなプレゼントを
飽きもせず、懲りもせず、贈りあっています。
ああ、でも、それって姉だけじゃないかも。
夫からのプレゼントも
友だちからのプレゼントも
わたしのど真ん中じゃないもんな。
・・・ってことは、
プレゼントってそんなものなのだろうか。
ほとんどの場合。
とはいえさすがのわたしも、
この世に生を受けて半世紀ですからね。
ちっーーとは賢くなり、
食べ物を贈るときには、
京都のちりめん山椒や
鍋に美味しい黒七味や
マダムシンコじゃないほうのバームクーヘンや
れんこん菓子など、
老舗や有名店や人気店のものを
京都ブランドを前面に押し出して贈るようにしています。
(大阪在住だけども)
それでも姉の反応は、
もひとつ、パッとしませんけどね(笑)
父が存命中、
わたしの家に遊びに来たとき、
シクラメンの鉢を2つ、近くの花屋で買って
よっこらしょと抱えてきました。
そのころは、まーったく花を育てていなかったので
「あああ、また迷惑なもの買ってきたよ。
わたしが花を育てられると思ってんのかねーーー。
だから年寄りは困るんだーーー」と
あからさまに無関心でしたが、
いまになると、その
「鮮やかな花の鉢を抱えてやってくる父」の姿を
何度も思いだすので
贈り物の効用は、
ずっと後になってジンワリとあらわれるのかもしれません。
姉とは、これからもずーっと的をはずしまくった贈り物をしあって
その「的をはずし続けた姉妹の軌跡」を
慈しみたいような、面白がりたいような
そんな気もしちょります。
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